医者が言う「様子をみる」とは?
たとえば、咳喘息という病気がある。
この本は病気をひとつひとつ丁寧に解説する医学書ではないので、詳しい説明は省くが簡単にイメージだけ書いておく。
咳喘息は、咳の発作があるときに患者はとてもつらい思いをするけれども、咳がないときには検査をしても異常が見つからない病気だ。そして、患者が病院を受診するのはたいてい、症状がないときだ。
医者は、毎日のように咳で苦しんでいる患者に、まずは詳細な聞き取りを行う。夜間に呼吸が苦しくなりましたか、以前からこのような症状は出ていたのですか、季節による変化はありますか、咳をするときどんな音がしますか、タンは出ますか、何かお薬を飲んでいますか、アトピー性皮膚炎にかかっていますか……。
患者はそれに答えていく。
その後、聴診をして肺や気管支の音を聞いたり、ときにはレントゲンをとったり、呼吸機能検査を追加したり、血液検査をすることもある。
けれども、診察室で発作が起こっていない場合、決定的な証拠はなかなか見つからない。咳がひどくて夜中に救急車を呼んだけれど、病院についたときにはもう治まっていた、なんてこともある。
ビシッと診断を決めてくれればいいのに……
そういうときに、医者は、このような言い方を用いて、初回の行動を選択する。
「お話をうかがう限りでは、おそらく咳喘息でしょう。この吸引する薬を使ってみてください。使い方は看護師から説明しますので、守ってくださいね」
そして、さらにひと言、こう付け加える。
「もしこの薬を使ってみて、よくなったら、咳喘息です。引き続きうちに通ってください、薬を出しましょう。ただ、この薬が効かないようだと、他の病気の可能性があります。その場合は別の治療を行いますので、この薬が効いても効かなくても、またうちにかかってください」
この「効いても効かなくてもまた受診してくれ」というセリフに、私自身は誠意を感じるのだが、それは事情をわかっている医者目線で見ているからかもしれない。患者目線からすると、きっとこのセリフの受け止め方は異なるだろう。
(なんだよ、咳喘息じゃないかもしれないのに、咳喘息の治療を始めるのか。ビシッと今日診断を決めてくれればいいのに。しかもまた病院来なきゃいけないのかよ……)
患者はもう少し、「早くわかる医療」を望むはずであり、医者のチンタラした対応にはたぶん不満だと思う。無理もない。わざわざ病院にかかったのに、その日に解決しないというのだから……。