この時期の研究でいえば、大量の木簡の出土です。当時は紙が貴重だったので、代わりに薄い短冊状の木片に文章を書くことが一般的でした。そして不要になると捨てましたが、近年では、大量に投棄された木簡がたびたび出土し、研究が進んでいるのです。中には『日本書紀』と矛盾する記述があり、国史の誇張や間違いがわかってきたのです。
また、聖徳太子の肖像画も、聖徳太子を描いたものということでずっと伝わってきましたが、これも研究してみると、聖徳太子が亡くなった100年近く後に描かれた可能性が高いことがわかりました。実は肖像画の人物が持っている笏という板のようなものが、聖徳太子の時代ではまだ一般化されていませんでした。
そんなわけで現在の高校日本史の教科書では、聖徳太子は推古天皇の協力者として描かれ、脇役のような扱いを受けています。ところが不思議なことに、人物学習を中心とする小学校の教科書では、いまだに政治の中心的人物として紹介されます。つまり小学校で聖徳太子を英雄と習った子どもたちは、高校では脇役と学ぶのです。
【奈良時代】日本最古の貨幣は和同開珎か富本銭か
発掘によって歴史が塗り替わる典型的な例が「日本最古の貨幣は何か」という問題です。長い間、最古の貨幣は和同開珎であるとされてきました。ちなみに開珎の読み方を「かいほう」と習った方もいるでしょうが、近年は「かいちん」が正しい読み方だとされます。60歳前後がその分かれ目です。
現在、日本最古の貨幣は「富本銭」とされています。99年に飛鳥池工房遺跡から、30点以上の富本銭が発掘され、その後も大量に発掘されたことで、これが天武天皇の時代に鋳造の始まった最古の貨幣であると結論づけられました。
しかし、それよりも前に貨幣を鋳造していたとする説もあります。それが「無文銀銭」です。ただ、三十数枚しか現存しておらず、果たして貨幣として機能していたかどうかについては、疑問視する学者も少なくありません。
【鎌倉時代】イイクニからイイハコになった?
最近のセンター試験では歴史の年号問題がまったく出ないといったら、読者の皆さんはどう思われるでしょうか。「えーっ、俺の苦労はなんだったの」と感じる方も多いかもしれません。現在の歴史教育は、なぜそういう出来事が起こったのか、その背景や理由を重視するからです。
その象徴的な例が1192年「いいくに」つくろう鎌倉幕府と記憶された方も多いでしょう。しかし、幕府の成立年としては1185年のほうが適切であるというのが有力です。ちなみにテレビでこれを「いいはこ」つくろう鎌倉幕府と語呂合わせで言ったのは、おそらく私が最初だと思います。
ただ、これにより成立の年が1192年から1185年に変わったと理解され、その話題だけが一人歩きして伝わってしまいました。
実際には、高校の教科書には1192年も残っているのです。