「統治基盤」を掌握した徳川家康

事業承継する際に押さえるべきポイントは、おもに「事業戦略」「リーダーシップ」「財務」「統治基盤」の4つがあります。このなかで特に重要視したいのが、統治基盤です。わかりやすく言い換えるなら、「部下がトップに従う根拠」でしょうか。どんなに後継者の資質が優れていたとしても、それを支える統治基盤が不安定であれば部下からの支持が得られず、能力を発揮することはできません。たとえば、武田信玄の跡継ぎである勝頼は優れた武将でした。しかし、後継者としての立場が脆弱なため、臣下から軽んじられ、武田家が滅亡する大きな要因となってしまいました。

組織における統治基盤を見極め、見事に掌握していたのが、徳川家康です。2代目将軍・秀忠の跡継ぎについて、親から寵愛されていた三男ではなく、嫡子である家光を定めるように秀忠に命じました。ここには、跡目争いが起きて統治基盤が崩れることを懸念した家康の思惑が見られます。また、直系の子孫が断絶した場合を考慮して、尾張藩、紀伊藩、水戸藩に親藩(徳川家の親戚)を置き、直系が途絶えたときにはその藩から跡継ぎを出す体制を構築しました。血筋を絶やさないことで、徳川家の統治基盤を守ろうとしたわけです。こうした体制が功を奏し、徳川幕府は長期政権となったのです。

戦国時代はトップがいなくなると、すぐに周りから攻め込まれました。そのため、後継者は「明日からでも自分がトップを務めるんだ」という自覚と、トップ同様の力量を持つ必要がありました。

それに比べると、現代の後継者は準備不足になるケースがよく見受けられます。それは、「自分は次のトップ」と考えるからです。「今は上がいるから、邪魔しないでおこう」と待ってしまうと、いつの間にか姿勢が受け身となります。しかし、トップはいついなくなるかわかりません。後継者は、いつでもトップの代わりが務まるように、戦国武将を参考にして力量を磨き、覚悟を決めておく必要があると考えます。

徳川家光●覚悟を決め、家臣と新しい関係を築いた

関ヶ原の戦いなどの戦績によって、その実力を諸大名から認められた徳川幕府初代将軍・家康と2代目・秀忠。それに対し、3代目・家光は合戦の経験がないまま、将軍を務めることに。そして秀忠の死後、家光は諸大名を集めて、「自分は生まれながらの将軍だ。あなた方は今後、家臣同様に扱うことにする。自分が継ぐことについて異論があれば、国元に帰って戦の準備をしてもらっても結構だ」と宣言した。