部下を蹴飛ばした伊勢丹のカリスマ・バイヤー

そうしたエピソードの中で一番強烈だったのが、アパレルの売り場としては国内のリーダーである伊勢丹新宿店を担当したある営業マンの話だ。

当時、社会人一年生だったが、前任者が違法カジノにはまって、自社の高級コートを質屋に横流しして懲戒免職になったため、急遽伊勢丹を担当することになった。最初に「鬼」の異名をとる伊勢丹の辣腕バイヤーに挨拶に行くと、何度名刺を渡しても「商品を横流しするような腐った会社の名刺は要らん」と床に放り投げられた。

撮影=黒木亮
伊勢丹新宿店

師走近くになって、前任者が数千万円のコートの注文を受けていたのを鬼バイヤーから「あれどうなった? 早く納品しろ」と知らされ、何の引き継ぎも受けていなかったので、本社に問い合わせると、生地不良で少し前に生産中止になったと告げられ、顔面蒼白になった。鬼バイヤーからは毎日「早く納品しろ」と急かされ、「生産中止になりました」と言えずごまかしていたが、ついに打ち明けざるを得なくなった。バイヤーは激怒し、その営業マンを殴る代わりに、そばにいた自分の部下のアシスタント・バイヤーを思い切り蹴り飛ばしたという(さすがに他社の人間には手を出せないと思ったようだ)。

「お前の会社は冬物が終わり次第、口座抹消、取引停止!」と宣告され、上司に辞表を提出し、2月末まで針の筵の上で仕事をした。しかし、懸命に知恵を絞った末、ある方法で数千万円の売上げを穴埋めし(具体的な方法は『アパレル興亡』に詳述した)、鬼バイヤーの信頼を取り戻し、2月の終わりに退職の挨拶に行くと、「なんで辞めるんだ? 辞めるなよ。これやるから、お前の好きに書いて、春物立ち上げろ」と、印鑑だけがしてある白地の注文書を一冊くれたという。

こうした人々が婦人服を含む洋服を作り、売っていたのである。利幅はメーカー、百貨店ともに3割程度と大きく、バブル崩壊まで濡れ手に粟のビジネスを謳歌した。

平成不況で日本人のお金の使い方が変わった

ところが、平成の不況期に入ると、人々は服装に金をかけなくなり、衣料の「カジュアル化」が進んだ。2000年前後から携帯電話やインターネットが普及すると、その流れに拍車がかかり、日本人のライフスタイル自体が大きく変化した。嗜好や趣味が多様化し、人々は、携帯電話、ゲーム、SNS、食事、趣味に金を使うようになり、服はファストファッションやアウトレットの商品、インターネット・オークションの古着で間に合わせるようになった。さらにZARA(西)、ギャップ(米)、H&M(スウェーデン)といった海外のファストファッションの日本上陸が競争を激化させた。