日本の出版社、韓国の書店が集まった「フェス」

このトークイベントが終わると、東京・赤坂のTBSへ移動し、「荻上チキのSession‐22」という生放送のラジオ番組で、『本屋がアジアをつなぐ』について話した。

このとき、一緒に話をした書評家の倉本さおりは、打合せ室に入ってくるなり雑誌『STUDIO VOICE』の最新号をとりだし、アジア各国の文学作品が豊富に紹介された充実の1冊であることを鼻息荒く教えてくれた。韓国、台湾、中国といった東アジアだけでなく、タイとか東南アジアにも面白い作品があるんですよ、と楽しそうに語った。

その翌日には、東京・神保町の出版クラブビルで「K‐BOOKフェスティバル」が開催された。韓国関連の本を出す日本の出版社、韓国の書店など25の出展社がブースに本や雑貨を並べ、韓国の作家、日韓の書店関係者のトークセッションも開かれた。神保町の韓国ブックカフェ、チェッコリの店主、キム・スンボクとそのスタッフが長い日数をかけて準備してきたイベントで、両国の関連団体の協力も得てこの日を迎えたのである。

撮影=石橋毅史
「K‐BOOKフェスティバル」の様子

「ひとりの優れた作家の物語」に人は感動する

午前11時の開場と同時に大勢の客がつめかけ、昼頃には場内を移動するのが難しいほどの入りになった。毎回のトークセッションも、50脚の椅子があっという間に埋まり、その周囲で立ち見客が三重、四重の輪をつくった。

石橋毅史『本屋がアジアをつなぐ』(ころから)

私たちにはことばが必要だ』のイ・ミンギョン。『原州通信』などのイ・ギホ。2人の作家のトークは、とりわけ盛り上がった。聴衆の誰もがいきいきとした目で作家を見つめていて、日本に来てくれてありがとう、という歓迎ムードに溢れているのだ。韓国語をわかる人も多く、作家がなにかを言うと、通訳を待たずに笑いや感嘆の声があがっていた。

イ・ギホは、好きな日本人作家はいますか、という会場からの質問に芥川龍之介などの名前を挙げ、ただ、私はそれらを日本文学として読んだわけではなかった、ひとりの作家の優れた小説として感銘を受けてきたのだ、と話した。

このイベントの先にある風景を見せるような言葉だった。「K‐BOOK」というポップな名称でPRされてきた韓国文学は、やがてブームの段階を終え、日本の書店の棚に溶けこんでゆくだろう。韓国の小説であることをさほど意識せずに手にする読者も多くなっていくはずだ。

“わたしたち”の抱えた荷物は厄介で、そう簡単に軽くはならない。それでも、時代はたしかに進んでいる。

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