ヘイトの前段階にある「過剰な一般化」
幾つかの頁を口頭で訳してもらう。そして、もはや無意味なことだと思う。著者の目的が憎悪の煽動なのか、語らずにいられない切実さがあるのかは、自ら読み、行間に滲むものを感じとり、僕自身の責任で判断すべきなのだ。ハングルを学ばない限り、僕にこの本を論じる資格はない。
『六本木 キム教授』と同種の本は、過去にもあった。
『イルボヌン オプタ(日本はない)』という原題で1990年代に刊行された本だ。これは『悲しい日本人』(たま出版、1994年)の邦題で翻訳されている。
本書の著者も、日本での生活体験をもとに日本人と日本社会への怒りを綴っている。日本人は「日帝」時代と正面から向き合う教育を受けていない、人の心を賠償金で買えると考えている、挙句、あの頃の日本は良いこともした、過去にこだわる韓国のほうが悪いと主張する評論家まで増えてきた……まるで現在の日韓関係を語っているかのような批判が続く。日本人を十把一絡げにして語る場面も多いが、嫌日本ではあっても、ヘイト本とはいえない気がする。
ヘイトの前段階として「過剰な一般化」がある、と教えてくれた人もいた。もとは「over generalization」という英語圏の言葉で、論理展開において陥りがちな過ちのひとつとされる。『悲しい日本人』は、この段階にはあるといえるかもしれない。
「嫌韓本の対を探す」という発想が間違っていた
そして、こう考えるようになった―― 嫌韓本と対になる嫌日本(けんにちぼん)を探す、という今回のソウル行きは、発想のスタート地点から間違っていたのではないか?
両者を並列して比較することに違和感がある。そもそも、それぞれの感情の生まれた背景が違うからだ。
そう考えさせてくれたのは、『禁じられた郷愁――小林勝の戦後文学と朝鮮』(原佑介、新幹社)である。1971年に43歳で逝去した作家・小林勝の作品を丹念に読み解き、いまの日本に伝えるべきものとして紹介した評伝だ。2019年3月に刊行されている。
小林勝は1927(昭和2)年、日本の植民地であった朝鮮の慶尚南道に生まれ、15歳のとき日本へ帰国。戦後の20代半ばから小説家として活躍した。
彼の作品は、生地である朝鮮を舞台にしたものばかりだった。故郷を懐かしむような話は皆無で、自分が暮らした当時の「植民者である日本人」と「被植民者である朝鮮人」の関係を、息苦しいほど厳しい姿勢で描きつづけた。
戦争を生涯のテーマにした作家、植民地からの引揚げ者としての寄る辺なさを語った作家は多いが、植民者としての贖罪意識をもとに書きつづけた作家は小林しかいないという。当時の朝鮮へ移住したのは両親であり、彼はそこで生まれ、育ったに過ぎないのだが、だから日韓の歴史に自身の責任はないという態度を、この作家はけっしてとらなかった。