街の書店に行くと、韓国への憎悪や差別を煽る「嫌韓本」が置いてある。「書店に行くのがつらい」と語る常連客もいる。嫌韓本はこれからも増え続けるのか。ジャーナリストの石橋毅史氏は「『嫌韓本の対を探す』という発想が間違っていた」という――。
※本稿は、石橋毅史「本屋な日々75 憎悪を探して」(発行:共同DM「今月でた本・来月でる本」、編集:トランスビュー)の文章を加筆・再編集したものです。
意外と“謙虚”な韓国ヘイト本
日本に戻ると、買ってきた『六本木 キム教授』を東京に住む韓国人の知人に渡した。ソウルではその場で拾い読みをしてもらっただけなので、もっと詳しく知ることにしたのだ。
2日後に連絡をくれた知人は、判断の難しいところだが、ヘイト本とはいえないのでは、と印象を語った。
予想できない反応ではなかった。ヘイト本は「外交政策などを批判する範疇を逸脱し、民族そのものを貶めるような本。それを煽動する本」と定義される。だが、この定義だと、ヘイト本か否かの判断が読む人によって異なる本も出てくるのである。
東京/中日新聞でアジアの本屋についての連載をはじめた頃から、ヘイト本とされる書籍に少しずつ目を通すようになった。この韓国行きの前後にも、嫌韓をアピールする雑誌や書籍を何冊か読んだ。
それらの本は、思ったより“謙虚”だった。自身の主張や表現を前に出すよりも、読者の需要に応えることに徹しているように読めた。韓国は間違っている、韓国人は嫌いだ、そう思う人たちを腑に落ちた気分にさせる「商品」としての完成度を競う世界にみえた。