「飢え」と「寒さ」が落語のベース

また談志は「飢えと寒さが落語のベースである」とも看破しました。

江戸時代の資料を見ると、庶民層は「空腹と寒さ」によく悩まされていたようです。

だからこそ「寒いね」「ええ、寒いですね」と相手に共感し、寄り添い合うという行為で不快感を緩和していたのです。想像してみるとよくわかりますが、一人でブルブル震えているよりも、誰かに「寒いね」と言って、「そうだね、寒いね」と返してもらったほうが、寒さが少し和らぐものですよね。

立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)

ですから現代でも、日本人は「共感できる要素」のある笑いを好みます。

そんな気質が「人殺し」のような残酷なシーンや、ブラックな笑い、シニカルな笑いを無意識のうちに遠ざけるようになったのでしょう。

そういった意味では、バラエティ番組で多く見られる「いじめ」「弱者差別」のような笑いのネタは、落語とは全く異なる流れから生まれたもの、という気がしてなりません。なぜなら、落語には「人殺し」どころか「いじめ」を描いたシーンも一つもないからです。

今の日本には、様々な「笑い」が溢れています。

時折立ち止まって、「その笑いに“品”があるかどうか」を考えてみてください。

差別をしたり、相手をこきおろしたり、おとしめたり、一方的に傷つけたりといった笑いが、本当に心を豊かにしてくれるものでしょうか。

「人として共感できるかどうか」という指標で判断するのも、笑いの価値を測る一つの方法です。

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