有名なフランスのジョーク

【1時間】
とある女子校での話です。道徳の授業中に講師がこう話しました。
「もし誘惑に負けそうになったら、『たった1時間の快楽で一生後悔するのは割に合わない』と思いなさい」
すると一人の美しい生徒が、こう質問しました。
「1時間も持続させるだなんて、いったいどうすればいいんですか?」
【陣痛】
陣痛を迎えた妻に、亭主が優しく声をかけました。
「僕のせいで、君にこんなに苦しい思いをさせてしまうだなんて……。本当に申し訳ない」
妻はこう返します。
「気にしないで、あなたのせいじゃないわ」
【白雪姫】
美しく清らかな娘が、天国の入口にやってきました。
聖ペテロが彼女にこう尋ねます。
「お前は、処女か?」
「はい。多分そうだと思います」
「『そうだと思います』とは、いったいどういうことなんだ? 怪しいなあ。
ちょっと天使の検査を受けなさい。お前が本当に処女であれば、すぐに天国へ行ける。でも、処女だという証拠が必要になる」
天使が娘の体を調べ、聖ペテロに報告します。
「確かに彼女は、処女といえば処女なんです。でも、ちょっとおかしなことがありまして。針で突いたような小さい穴が7つも開いているんです」
聖ペテロは驚きます。
「なんだって、針で突いたような穴が7つも? でも、それだけで地獄に送り込むわけにもいかないしなあ。これ娘、お前の名前は何と言うんだ?」
娘は静かに答えます。
「私の名前は、白雪姫です」

落語に人殺しは出てこない

ここまでアメリカ、中国、フランスの笑いについて話してきましたが、日本の伝統芸能「落語」には他人をののしったりさげすんだりする表現は出てきません。そしてもう一つ、落語には大きな特徴があります。

「人を殺す」というシーンや、描写が出てこないのです。

もちろん「死」にまつわるはなしはいくつかあります。登場人物が病死したり、お葬式の相談をしたり、復讐を企てたり……。しかし、リアルタイムで登場人物が「人を殺す」というシーンは、めったにありません。

「宿屋の仇討」という、いかにも仇討に成功しそうな題名の噺も有名ですが、最後にドンデン返しがあり、噺の中で誰かが殺されることはありません。それどころか、むしろ喜劇っぽいオチになっています。

一方、海外の笑いの中には「人を殺す」というシーンは決して珍しくありません。また社会主義の国のジョークにおいては、「人を殺す」描写は、むしろ多い印象さえあります。

この点については、談志もよく指摘をしていました。

「俺は、落語は人を殺さねえから好きだ」

また、談志は映画界の鬼才・北野武監督を高く評価しながらも、一方で「映画はなぜあんなに人を殺すのか」と不思議がってもいました。

やはり、落語とは「皆でニコニコ笑って楽しめる」という最大公約数的なところを理想とした芸能なのでしょう。もっとも、その傾向が極端になると、全体主義的になり、「互いの顔色をうかがい合う」という弊害が出てくるかもしれませんが……。

しかし「人を殺す」ことを是としない落語の姿勢は、素晴らしいものです。やはり、落語は世界に誇れる日本の文化だと言えるでしょう。