東京の串カツには2つの系統があった
東京で食べられている串カツは、筆者の見立てでは大きく2系統に分類できる。ひとつは、大衆的な酒場や食堂、とんかつ店で提供している豚肉とタマネギを串打ちし、パン粉をまぶして揚げたスタイル。ソースをべっとりつけてほお張り、ビールやレモンサワーで流し込むイメージだ。
もう1系統は、「串揚げ」と呼ぶほうが一般的かもしれない。豚肉だけでなく、魚介や野菜を一口サイズにカットし、串にさして揚げたもので、ずっと上品なイメージだ。客単価が1万円を超えるような高級店もある。
いずれにしても、串カツと呼ばれる食べものはもともと東京に存在していたのだが、そこに殴り込みをかけたのが大阪スタイルだったわけだ。
「串カツ田中」と「串かつ でんがな」が登場
実はチェーンが出店する以前にも東京には大阪スタイルの串カツ店が存在していた。代表的なのが東京・北千住に店を構える「天七」である。現在もオープンと同時にお客でごった返す人気店だ。同店の店主は大阪の串カツ店で修業し、1975年に開業したという。とはいえ、その存在は「知る人ぞ知る」というレベルで、関東圏に住む大多数の人にとって大阪スタイルの串カツは未知の食べものであった。
そこに目をつけたのが、ノート(現・串カツ田中)とフォーシーズの2社だ。前者は前述のとおり、2008年12月に東京・世田谷に串カツ田中の1号店を出店。屋号の「田中」は大阪出身で串カツに対する思い入れが強く、業態の開発を担当した同社取締役の姓から取っている。
一方で後者は、宅配ピザ「ピザーラ」や高級フランス料理店「ジョエル・ロブション」などを展開する外食企業。大衆向けの業態を開発するにあたって大阪出身の取締役が音頭を取り、2008年4月に「串かつ でんがな」の1号店を東京・渋谷にオープンした。2020年1月現在で「田中」が276店、「でんがな」が84店を出店している(各社HPより)。