「事件」と「ひきこもり」を結び付ける報道の罪

事件と「ひきこもり」を結びつける報道があるたびに、過度の差別や偏見が当事者を抱える家庭を追い込み、外につながる機会を遠ざけていく現実がある。

池上正樹『ルポ「8050問題」高齢親子“ひきこもり死”の現場から』(河出新書)

「最近、電車に乗るのが怖い。今回の事件やネットの騒動を見ていても、他者に不寛容な世の中になっているのではないか」。

イベント企画者であり、ひきこもり当事者に対して手紙や電子メールを中心とした双方に無理のないピア・サポート活動を進めるNPO法人「レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク」理事長の田中敦さんは、こう問いかける。

「非常に社会そのものが、不満や不寛容の中でギスギスした感じを受ける。こういう社会状況の中で、当事者たちが肩身の狭い思いをして生きていかなければならない。働いても収入が少なく、賃金が上がっていかない。年齢が上がれば、収入の高い職業に就くこと自体、難しくなる。社会はそんな状況をわかっていながら若年者支援ばかりに目を向けてきた。当事者が生きたいと思える状況になっているのか、検証する必要がある」

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