親はいつまで子どもの面倒をみればいいのか。愛知教育大学の川北稔准教授は「日本は若者が個人として生活するための仕組みが欠落している。ひきこもりの問題が家庭の中に閉ざされるのはそのためだ。“完璧な自立”ができるまで家族が子どもを支えようとして、結局は親子が共倒れしてしまうこともある」と指摘する――。
※本稿は、川北稔『8050問題の深層「限界家族」をどう救うか』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。
結婚も妊娠も「選択して行動するもの」になった
ひきこもりの問題が家族の中に閉ざされる背景として、昭和の高度成長期から受け継がれてきた家族観がある。子どもが経済的に自立して家を離れるまでは、親が子どもの生活を保障するのが当然とされる。しかし他人に依存しない「一人前」の姿を求め続けるあまりに、家族が共倒れするまで支え続けなければならない。「限界家族」を乗り越える道は、新しい自立観の選択、つまり若者が家族外に依存できる社会的基盤を整備することではないか。
「婚活」や「終活」、さらには「妊活」「保活」は、いずれも平成の時代に生みだされた言葉である。結婚する、子どもをもつ、働くために子どもを預けるといった出来事は、自然のなりゆきにゆだねられるのではなく、選択して行動しなくては実現できないものに変化してきたようだ。
それでは、どんな家族をつくり、生活していくかは個人の選択の問題になったのだろうか。確かに生き方は多様になったかもしれないが、選ぶための条件は決して平等に与えられていない。
子どもの虐待事件の報道で身につまされるように、子ども自身はどんな家庭に生まれるかを選択できない。私たちの社会は、遅ればせながら、不幸にして家庭で安心して生活できない子どもを保護する仕組みを整えつつある。