麓にサティアンを建設した理由は「戦争のとき助かるため」
公園の片隅に慰霊碑が建っていた。
馬蹄形の石碑に「慰霊碑」とだけ刻まれていて、それ以外の説明文はない。碑の右隅には、「南無妙法蓮華経」と書かれた卒塔婆が一本だけ立て掛けられている。左右には枯れかけた花が供えられ、その前にはラベルのないペットボトルが2本立っている。
慰霊碑の後方には、澄み切った空をバックに富士山がそびえていた。視界をさえぎるものは何ひとつない。裾野から頂上にかけて稜線がなだらかな弧を描き、圧倒的な存在感をもって迫ってくる。ただ富士吉田に比べると南西側に当たるせいか、雪の量はやや少なく見える。
なぜオウム真理教は、この地にサティアンを建設したのか。麻原彰晃は、地下鉄サリン事件が起きる3カ月近く前の94年12月25日にこう述べている。
では、いったいなぜ、山に逃げたならば助かるのか。例えば原爆にしろそうだし、あるいは、他の爆薬兵器、細菌兵器もそうですが、そんなに広範囲に影響を与えるものではない。(中略)したがって、皆さんが現世を捨て、そして出家し、そして富士山周辺で暮らすならば、それだけでも皆さんが生き残る確率というのはかなり高くなるものではないかと考えられる。(『日出づる国、災い近し』、オウム、1995年)
麻原は、「仏教の経典」をもとに、世界最終戦争が近い将来に到来することを説いている。サティアンというのは、オウムの信者が世界最終戦争を生き抜き、「新しい人類を築く」ために建設されたというのだ。
仏教と世界最終戦争を結びつけた人物としてよく知られているのは、満洲事変を仕掛けた軍人の石原莞爾(1889~1949)だろう。
法華経の熱心な信者であった石原は、1940(昭和15)年に発表された「最終戦争論」(42年に『世界最終戦論』として新正堂から刊行)のなかで、「日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ」という日蓮の予言をもとに、世界最終戦争が「数十年後に切迫している」とした。麻原の言葉は、石原の「最終戦争論」を下敷きにしているように見えるのだ。