治療したとして、雇用する会社はあるのか

かりに統合失調症を治療したとして、長期にひきこもっている中年男性を雇用してくれる会社は残念ながらほとんどない。よしんばあったとして、本人の能力や適性や要望とマッチするかどうかはまた別の問題でもある。

暴力をふるうかもしれない。トラブルを起こすかもしれない。そのような「加害性のある弱者」は、社会が包摂するようなチャンネルがほとんど整備されていない。多くが家庭に押し付けられて不可視化される。家庭は外部に相談をしようにも、適切な機関の存在をそもそも知らなかったり、かりに知っていたとしても、相談することによる家庭環境の悪化や、地域社会からのスティグマ性によってためらったりしてしまうことも珍しくはない。

ときに、社会が包摂せず、家庭にそのリスクを押し付けて不可視化したはよいものの、ついには家庭が抱えきれなくなり、最悪の場合には刑務所が受け入れ先の役割を担ってしまうようなこともある。

安全に生きられる場所としての「刑務所」

東海道新幹線で昨年6月、乗客の男女3人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた住所不定、無職小島一朗被告(23)の裁判員裁判で、横浜地裁小田原支部は18日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。(中略)佐脇裁判長が量刑理由に続き、判決に不服がある場合の控訴手続きを説明すると、突然、「控訴はしません。万歳三唱をします」と発言。裁判長が「席に戻りなさい」と注意し、刑務官らが取り囲んで両腕を押さえようとしたが、その制止を振り払い、万歳を3回繰り返した。
読売新聞『新幹線殺傷の被告、刑務官の制止振り払い「万歳」3回』(2019年12月19日)より引用

無期懲役の判決で「万歳三唱」したとの報道で、社会にふたたび大きな動揺を与えた新幹線殺傷事件の小島被告は、事件発生当初から、報道としては珍しいくらいに生活歴が詳細に伝えられていた。メディアで強調されていたのは、被告が発達障害の診断を受けていたこと、そして仕事が長続きせず、社会的にも孤立していたということだ。

社会的に疎外され続けた人間にとって、社会に自分が安全に長期的に生きていられる場所も保証もなく、自分が存続できる安全な場所を社会に獲得するためには、もはや刑務所で一生を過ごすくらいにしか思い浮かばなかったのだ。事実として小島被告は死刑になる可能性を示唆されるとひどく動揺して「無期懲役になること」を強く望んでいたという。