「ゆく年くる年」の前身となったラジオ番組
除夜の鐘は、そうした禅寺でのやり方が元になっているようだ。だが、それはあくまで禅寺がやっていたことで、他の宗派にまでは広がっていなかった。鐘撞きが証言している寛永寺は天台宗の寺で、浅草寺も当時は天台宗だった(現在では、独立して聖観音宗になっている)。
除夜の鐘が各宗派に広がったのは、ラジオの力によるものだった。
「ジモコロ」というインターネットのサイトでは、2016年12月29日に、「【公式】完全解剖―NHK『ゆく年くる年』61年の歴史を裏の裏まで教えます」という記事が掲載されている。この記事では、NHKの「ゆく年くる年」の担当者がインタビューに答えているが、この番組のはじまりについては、「『ゆく年くる年』には前身となる番組がありまして、最初は『除夜の鐘』というタイトルで、ラジオとして始まりました」と述べている。「除夜の鐘」という番組があったのだ。この番組がはじまったのは、1927年のことだった。記事では、当時の放送風景が写真入りで紹介されている。
その写真には、中央に、かなり大きな鉢の形をした銅製の「磬子」が写っている。磬子の向かって右側に立つNHKの職員と思しき人物は、それを打つための「棓」を手に持ち、左に立つ、やはり職員と思われる人物は手に持った時計を見つめている。磬子を鳴らす時間が来るのを待っている光景らしい。
生中継をきっかけに、全国の寺院が取り入れた
写真の説明としては、「1927年の『除夜の鐘』放送風景。当時は近所の寺から借りてきた鐘をスタジオに持ち込んで108回叩く、というラジオ番組だった」とある。最初は、スタジオで磬子を打ち、それを除夜の鐘としたのである。寺で除夜の鐘を撞くときには、磬子は使わない。「撞木」と呼ばれる棒が用いられる。
「除夜の鐘」の番組は、1929年には、一箇所だけだが実況中継になり、32年には、各地からリレー中継するようになったという。
僧侶向けの専門誌に『月刊住職』というものがあるが、その編集長で、自らも高野山真言宗の僧侶である矢澤澄道は、除夜の鐘について、「由来には諸説がありますが、昭和2年にNHKラジオの『除夜の鐘(現:行く年来る年)』の番組で、上野・寛永寺に頼んで除夜の鐘として生中継し、これが契機となって全国の寺院が取り入れたことに間違いはありません」と述べている(『デイリー新潮』2018年12月30日)。
初回の番組で使われた磬子は、上野の寛永寺から借りたものだったのだろうか。写真に写った磬子は、相当に立派なもので、有力な寺院の持ち物であるように見える。
重要なことは、除夜の鐘を撞くしきたりが、ラジオ放送をきっかけとして広がったとされている点である。メディアが取り上げたがために、しきたりが生まれたり、広がったりと、さまざまに変化していくことがあるわけである。