ただ差別するのではなく背景を考える

九月の朝、私は中本さんの自宅にいた。台風が午後にかけて接近しており、基町の家に来る人も少ないだろうからと、再び一対一で話す機会を設けてもらったのだ。

中本さんから自ずと語られるのは、やはり力さんのことだった。

「暴力団に入っても何のメリットもないよ。銀行口座は作れない、家も自分で借りられない、車のローンも組めない。それでも弱者にしたら、すがるところは組しかないわけなんよ。

ヤクザの方に弱者を利用しようという下心があるからじゃろうけど、一番優しくしてくれる。そういう子らがいざという時に頼れるのはヤクザ、とさせんがために、もうちょっと受け皿を考えにゃいけんのよ。そう思わん?」

そのとおりだ。

受け皿といっても、行き場のない子を収容する各種施設というようなものではない。それでは多くの人にとって見たくないものを見ないですむよう、自分たちの視界から切り離して一時的に囲ったに過ぎない。

そんな囲いから出た「元子ども」たちが、大人になってもやはり社会に居場所がなく、中本さんの元に集まってきている。

中本さんは続けて言った。

「ただ差別するんじゃなくして、同じ人間として生まれてきて、なぜそれをせにゃいけんかというこの子たちの背景を考えてやってほしいんよ」

一人ひとりの心のあり方が弱者の「受け皿」を作る

中本さんから繰り返し語られる、差別。

秋山千佳『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』(KADOKAWA)

受け皿とは結局、弱者をどう受け止めるかという、一人ひとりの心のあり方の問題に行きつくのだった。

その午後、髪が逆立つほどの風雨の中を、力さんは基町の家までやってきた。

嵐の中でも、外の見えない基町の家にいると、いつもどおりの時間が流れる。中本さんは力さんに「いずれは足を洗わにゃいけん」と声をかけ、力さんが「親分がおらなくなったら俺はやめるんじゃけ」と答える。

天候のせいで訪れる人はほとんどない。力さんは「一般人ならばっちゃんたちと焼き肉とか色んなところに行けとったのにな」「どうやって帰ろうかな、今日はここに泊まろうかな」と、のんきなおしゃべりを続ける。一向に帰る気配は見えなかった。

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