力さんが暑くてもアームカバーを外さない理由
力さんは22歳の暴力団員で、中学生の頃から中本さんの元にやってくる。
昼に来た智也さんと同じように半袖だが、二の腕から手首まであるアームカバーを着けていた。両腕にある鯉の入れ墨を隠しているのだ。暑さが厳しくなっても、力さんはアームカバーを基町の家で外さなかった。
「ここに来る人に見られたらばっちゃんに迷惑がかかる」
力さんも智也さんと同じく彼女がいなかったが、「今の職業におる間は、作るのはやめようかな」と消極的だった。もし自分にまた逮捕されるようなことがあれば迷惑がかかるから、というのがその理由だった。
中本さんから「人に迷惑かけるなよ」と釘を刺されて「人に迷惑かけんかったらヤクザはできん」と笑ったという力さんだが、できるだけ中本さんを裏切らずにすむよう、彼なりにはあれこれ気を遣っているのだ。
もっとも、どこか抜けたところもあった。電話がかかってくると、任侠映画「仁義なき戦い」のテーマが大音量で流れる。戦後の広島県で実際に起こった抗争をモチーフにした映画だ。そのわかりやすい選択にいつも吹き出しそうになる。あまりに有名なあのメロディを着信音にする広島の暴力団員は他にいるのだろうか。
力さんが「あいつだけは許せん」と言った相手
彼の言動は、暴力団員としては威圧感がなく、愛嬌がありすぎるのかもしれない。
基町の家で一時期だけボランティアをしていた女性が力さんに、暴力団員になった理由などを興味津々といった様子で尋ねたことがある。中本さんは、子どもの方から話し出すまで根掘り葉掘り聞いてはいけないと常々言う。その中本さんが不在の折だった。
力さんは仕方なくといった様子で答えていたが、女性はそのたび「冴えんねえ」と返した。ぱっとしないという意味で使う広島弁で、そこには侮蔑的な響きがあった。力さんにならそれくらい言っても大丈夫だと踏んでいたのだろうか。
力さんは顔を真っ赤にしてこらえ、女性が帰ってから「あいつだけは許せん」と絞り出すように言うのが精一杯だった。
一方で、力さんにどんなに愛嬌があろうが、暴力団員は暴力団員として見られる。
力さんが基町の家に来ていなかった昼すぎのこと。初めて見る若者がやってきた。その男性は力さんの同級生だった。十代の頃は、力さんと一緒によく中本さん宅でご飯を食べさせてもらっていたらしく、この日は中本さんの顔を見に立ち寄ったのだという。
中本さんは何気ない調子で「力もここに来よるよ」と伝えた。男性は顔をしかめると「正直、力はああなると思っとらんかった」と苦々しげに語りだした。
「もともとは連れじゃし、でも自分で選んでなったわけで、言い方悪いかもしれんけど、もう俺らとは住む世界が違うということ。連絡もせんし、俺も普通の株式会社におるわけやけん、やっぱり色々問題あるよね、そういうのと付き合うとったら」
そういうの、という言い方に、遠い惑星でも眺めるような距離を感じる。