広島の基町に、「ばっちゃん」と呼ばれ子どもたちから慕われる女性がいる。元保護司の中本忠子さんだ。中本さんは、約40年間にわたり恵まれない子どもたちに無料で手料理をふるまってきた。彼女が支援してきた子どもたちの壮絶な半生とは——。(第1回、全3回)

※本稿は、秋山千佳『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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差別のない社会を作っていきたいのが私じゃけん」

中本さんがばっちゃんとして話をする時、よく憤りとともに口にする一語がある。差別、だ。

そもそも広島の基町という地域には、アパートができるまで、原爆で焼け出された人や外地からの引揚者らが建てたバラックの密集する『原爆スラム』と呼ばれる一帯があった。アパートはスラムからの移住者に加えて中本さんのような一般公募での入居もあったが、住民へ向けられる差別的な視線は残った。被爆者や貧困に対する差別意識が表れた流言飛語も、かつてはあった。

中本さんもその中で暮らす一人として、差別というものを意識することは当然あっただろう。まして自身が被爆体験を持つのであれば、より敏感にならざるを得なかったのではないか、と感じていた。

現在の自身の活動については、皆が素晴らしいというものなら他の人もやっているだろうし、私は続けていないよ、と語った。自分に向けられてきたまなざしをどう捉えているのか。

「なぜクズみたいな奴らに金を使うて飯を食わせにゃいけんのか、とか、あいつらホームレスになるか、刑務所へ行くかなのに何の得にもならん、とか、差別的な言い方をされることは多いよ。保護司の中にもおるよ。排除するのが一番早いけんね。でもそういう批判があることで、これは私にしかできん、というエネルギーになった」

それに続けて、こう言い切った。

「差別のない社会を作っていきたいのが私じゃけん」