暴力団員の夫と離婚した母と子の困窮
私の知る限り、中本さんの口から差別という一語が最もよく出るのは、力さんについて語る時だ。
力さんは22歳。中学生の時からの常連で、NPO法人「食べて語ろう会」が立ち上げた拠点「基町の家」に毎日のようにやってくる。
ある日の夕食は、天丼にマヨネーズをかけて平らげた後、丼飯に生姜焼きを山ほど載せてかきこみ、コールスローもおかわり。布袋様のように突き出たお腹を揺らして冷凍庫をのぞきこみ、「ばっちゃん、アイスちょうだい、最後の1個」と言う。
「2階にはチューチューもあるよ」と中本さん。チューブ入りアイスの存在を教えているのだ。
「チューチューはいらんよ。あれは中学生まで」と、甘えん坊の顔から急に大人ぶって言う力さんに、見ていて吹き出してしまった。
偶然だが彼は、私が中本さんの自宅で最初に出会った「食事をしにきた子」だった。21歳になったばかりで、今とは違って、建築関係のアルバイトをしていた。
もっとも中本さんが、支援する相手のことを何歳であろうが「子ども」と一括りにすることを考えると、私の最初に出会った「子ども」は彼ではなく、母親の麻子さんと言うべきかもしれない。力さんを語るにも、麻子さんは避けて通れない存在だ。
私が最初に中本さん宅を訪れた2016年1月の2日間、いずれも日中から来ていたのが、当時50歳の麻子さんだった。ひと目でその異様さは伝わってきた。
暴力団員の夫と離婚して一人暮らしだという麻子さんは、ジャンパーの下はフリースのカットソー1枚で、足元は裸足といういでたち。首にも足の甲にも入れ墨があるのが目を引く。本人は暑がりだから薄着でいいと気にする様子はなく、唐突に「ブラジャーもないよ」と言いながら服をめくりあげた。服の下の肉付きのいい体一面に、入れ墨が彫られていた。虎、大蛇、般若……まるで入れ墨のカタログのようだ。寝るときも着たきりというそのカットソーは異臭を放っていた。
母親が見えない誰かと話すようにぶつぶつと独り言
「今日、ご飯食べたん?」と、中本さんが子どもに語りかけるように声をかける。
「昨日ばっちゃんにもらった冷凍のおじや、食べよったよ。でも卵入れたら吐いたよ」と麻子さん。
その卵は麻子さんの家にあった、いつ買ったかわからないものだという。普段の食生活を尋ねれば、「ばっちゃんのところで食べさせてもらうか、家でばっちゃんにもらったものか、子どもが持って帰るインスタントラーメンを食べる」と答える。
翌日は、普通に会話できる時もあれば、見えない誰かと話すようにぶつぶつと独り言をつぶやいては笑っている時間帯もあった。彼女は会話中の一人称に「麻子は」というように名前を用いるのだが、それが別の名前になっている時さえあった。
中本さんいわく、長年使っていた覚せい剤の後遺症で幻聴がひどいらしく、感情のコントロールがきかずに暴れだすことがある。数日前には突然意識を失って入院してもいた。麻子さんから病院の明細を見せられた中本さんは、「生活保護でもオムツ代は出んのじゃね」と感心したように言った。
かくして自己管理もおぼつかない麻子さんに、子育ては求めようもなかった。