そしてダンテは、生前に重い罪を犯した人々が落とされる「地獄」、生前の罪を償うための「煉獄」、選ばれた幸福な魂だけが行き着く「天国」を、ウェルギリウスの道案内で巡ります。最後には神の意思に気づいて目覚める、という筋立てで、『神曲』を読むことで、あの世の“下見”ができます。
『神曲』は死後の世界を克明に描き、伝説上や歴史上の著名人もたくさん登場するので、読み応えがあって飽きません。僕も高校生のときに『神曲』を初めて手に取りましたが、一気に通読しました。
楽しく読める地獄篇
『神曲』のなかでも迫力のある描写でよく知られているのが「地獄篇」です。地獄の行き先は、罪の内容や重さによって決められ、罪の軽い順に第1層から第9層まで分かれているという設定です。興味深いのは、ダンテが罪の重さを、自分の価値観や倫理観によって決めているところです。
たとえば、重罪人が行く第8層には、聖職の売買によって私腹を肥やした罪で歴代のローマ法王が送られ、その1人であるニッコロ三世が、石穴に頭から突っ込まれています。ダンテが当時の宗教権威を否定し、人間賛歌の「ルネサンス(再生)の先駆け」といわれた所以です。
行動することで何かを変えようと思ったり、よりよい選択ができるのなら、悩み考えることは有意義です。しかし、先にも述べたように、人が死ぬことは変えようがなく、悩んだり考えたりするのは時間の無駄です。それなら、いまこのときを楽しみましょう。
『神曲』のなかでもこの「地獄篇」は、苦難に満ちてはいてもエキサイティングで、他の「煉獄篇」「天国篇」よりも楽しく読めます。皆さんもぜひ『神曲』をひもとき、あの世を覗いてみてください。そして読み進めるうちに、死に対する恐怖心も和らいでいくはずです。