現代の高齢者の中に「自分中心」な者が増えている

こうした人生行路における大きな変化を踏まえて、上で見たように、年齢別ロールモデルというべきものが崩壊している。若者はこうであるべきだ、老人はこうであるべきだというような見方はもはや通用しない。

かつては、向こう見ずな若者は時代を切り開く存在として自分勝手が許され、経験を積んだ高齢者は、社会の指導的な立場に立つべき存在と見なされていた。若者は革新的、高齢者は保守的であるのが当然だった。

時代は大きく移り変わり、上の意識調査の結果で見た通り、こうした若者と高齢者の意識差は大きく縮まっている。ところが、かつての時代の年齢別ロールモデルが刷り込まれた年代の人間にとっては、若者みたいな高齢者を見ると違和感を抱き「身勝手さ」を強く感じてしまうのである。

「おやじ系週刊誌」の記事内容が週刊プレイボーイ化

橋本治という文筆家がいる。東大紛争のさなか、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目され、イラストレーターを経て、小説『桃尻娘』を振り出しに、文筆業に転じた経歴からもうかがえる通り、通り一遍な見方からは遠い評論で知られている。

しかし、彼も、最近の「おやじ系週刊誌」(『週刊現代』や『週刊ポスト』)を見て、森友学園問題や日大アメフト部の不適切タックル問題など政界やスポーツ界のスキャンダルが騒がれている中、そうした「社会に対する関心」が皆無となる傾向がある一方、「自分に関すること」、例えば、こうすれば資産運用や相続で損をしないという記事、あるいは「こうすればまだやれる!」といったセックス記事、そしてお決まりのヌード写真も若いころ憧れたアイドルの記事が読者に人気、という現状を知って愕然としている。

「年取れば視野が狭くなるとは言うけれど、閉じつつある自分のことにしか関心を持てない男達が、ある程度の量確実にいることを知らされて、「それでいいのかよォ!」と言いたくなる」(『思いつきで世界は進む』ちくま新書、2019年、p.14)と書いている。

「おやじ系週刊誌」の記事内容が『週刊プレイボーイ』のような青年週刊誌に近づいただけで、こんなふうに感じるものなのである。

現代の高齢者の中に「自分中心」な者が増え、かつての若者に近づいているというだけで、だからといって、人の迷惑まで無視しているわけでもないのに「身勝手」になっていると感じてしまうのは、致し方がないことなのであろう。

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