このように香港は、上海閥のみならず、長年その仲間であった北朝鮮にとっての力の源泉でもあった。
つまり、今回の逃亡犯条例改正案の適用で習政権が狙っていたのは、上海閥を壊滅させると同時に、彼らと関係のある外国情報機関による香港を拠点とした対中秘密工作にも打撃を与え、さらには、上海閥から今ではトランプ政権に乗り換えつつ、核ミサイルを持って習政権に歯向かう北朝鮮の資金源をも根絶することであったに違いない。
中でも習政権にとって特に疎ましいのが、「不倶戴天の敵」である上海閥と北朝鮮の金正恩政権なのであろう。つまり、中国政府が今回の抗議運動をして「CIAによる陰謀だ」と叫び続けているのは、中国人得意の「桑を指して槐を罵る(=遠回しに別の相手を非難する)」行為であると思われる。
なぜ中国政府は改正案撤回に沈黙するか
このような政治的思惑が複雑に絡み合う中で、9月4日に香港行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)氏が突然に発表したのが逃亡犯条例改正案の完全撤回、という驚きの決断であった。
この決断の直前の8月末、林鄭氏は地元実業家グループとの非公式会合で、荒れる香港の現状について「言い訳のできない大混乱」を引き起こしたとし、選択肢があるなら辞任すると発言したと報道されていた(のちに林鄭長官は発言を否定)。彼女はもともと上海閥に近いといわれていた人物であり、その意志の強さから「鉄の女」とさえ呼ばれていた。
そんな彼女は今回、「鉄の女」らしからぬ「弱音」を吐き、突発的とさえ思える改正案撤回をやってのけた。それを見た多くの人が、「こんな決断をすれば、彼女は習政権の逆鱗に触れるのではないか」と感じたに違いない。
しかし、この改正案撤回を受けたあとも、北京はなぜか沈黙を貫いている。その背景を推察してみると、そこには絶妙な立ち回りを演じてみせる林鄭月娥氏のもう一つの姿が浮かんでくる。
振り返ってみれば、上海閥に近いとされている林鄭氏は、2017年の行政長官選挙では習近平派からの支持をも幅広く取り付け、見事香港トップの座を手中に収めた。つまり、彼女は習近平派にもかわいがられることに成功していた。
そうした視点から改めて逃亡犯条例改正案そのものを見てみると、それが上海閥と習近平派の両方に恩を売ることができる「絶妙なカード」であることに気づく。