放射線治療医は「鬼手仏心」で

現在、内田は日本放射線腫瘍学会の理事、そして教育委員長を務めており、後進の指導にも注力している。学会などに出席すると、患者と向き合うよりもコンピューター上で3Dの治療計画を作成することに熱中する若い医師が増えていると感じることがある。

「コンピューター性能や照射技術がすごく発達したので、私の若い時代よりも複雑なことがスマートにできるようになった。治療計画を作ることだけに面白さを感じて放射線治療医になる人もいるようです。でも、私はそれだけでは不十分だと思うんです」

恩師である石田が退官する際、内田は1枚の色紙を受け取っている。そこには毛筆で“鬼手仏心(き・しゅ・ぶっ・しん)”と書かれていた。

「調べてみると外科医に使う言葉でした。どうして私にこの言葉をくれたのだろうって」

外科医は手術で鬼のように残酷なほど大胆にメスを入れる、それは何としても患者を救いたいという仏の心があるからである、という意だ。

「しばらくしてから、放射線のビームも(外科医の)メスと同じだと、はっとしたのです。我々は患者さんのことを思って慎重に鬼の手を使いこなさなければいけない」

勤務後、ピアノの鍵盤を叩くワケ

内田には同級生でもある医師の夫との間に二人の娘がいる。一人は医師に、もう一人は薬剤師になった。

「私から(医療関係の職業に)なりなさいと言ったことはありません。ただ、実際になってくれると嬉しいものです。子どもたちからすれば両親とも忙しく、かまってくれなかったという思いがあるはずなんです。親の苦労を見ていて全く嫌だったら、医療関係の道には進まなかったでしょうから」

二人はそれぞれ結婚し、東京に居を構えた。一方、内田は出雲から鳥取市、米子市と山陰に住み続けている。

「入学試験で初めて出雲を訪れてからもう何年でしょうか。山陰での生活が人生で最も長くなってしまいました」

そう言うとおかしそうに笑った。

鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 2杯目』

趣味、気分転換は何かありますか、と最後に聞いてみた。内田は少し考えた後、二人の娘が進学のために家を出た後、ピアノを習っているのだと言った。

「それまでは仕事と育児の両立というぎりぎりのバランスでやってきました。娘にピアノを習わせている頃、自分がやってみる時間的余裕はまったくなかった。ところが娘たちがいなくなると、夫が単身赴任なので、全ての時間を仕事に充てることができる。寝食を忘れて仕事ができちゃうんです。それでは自分のなかですごくアンバランスな気がしたので以前から憧れていたピアノを始めたんです」

ピアノの話になると内田の顔がぱっと明るくなった。

「この年齢になると、進歩することって少ないですが、ピアノは練習すれば練習しただけ上達する。それが面白い」

勤務が終わった後、自宅に戻って消音機能のついたグランドピアノの鍵盤を叩く。夫は子どもの頃からピアノに親しんでいた。近い将来、二人で1台のピアノに向かって連弾するのが彼女のささやかな夢である。

関連記事
救急救命のプロたちが絶対に使わない言葉
"60歳で医師"驚異のボイスレコーダー倍速勉強
ヤバい病院は「待合室」を見ればモロバレ
"気軽に抗生物質&ロキソニン"が怖いワケ
老後に沖縄移住した人が悩む「ある出費」