宿題が消えない背景にある「国の制度」

とはいえ、子どもに勉強を強制したくない親御さんでも、宿題をこなさないと学校の成績が下がるのではないか、と心配するのも自然のことです。宿題の提出が成績に直結するのもまた事実です。

なぜ宿題がなくならないか。それは、大半の学校では子どもを評価する手段として宿題が重宝がられているからです。その背景には国の制度上の問題があります。

宿題が、出す側の問題である面も指摘しておかなければなりません。ご存じの方も多いと思いますが、公立校の成績のつけ方は相対評価から絶対評価に変わりました。相対評価の時代は「1」のつく子どもはクラスの7%、「2」が24%、「3」が38%、「4」が24%、「5」が7%と配分が明確に決まっていました。40人学級なら「5」がもらえる生徒は40×7%=2.8人なので2人だけ。つまり「5」がついたらクラスで2番以内で、昔の「オール5」とはまさに神童レベルでした。

しかし、その仕組みでは、クラス全体のレベルが高いと、勉強はできるのに相対的に評価が低くなる。そこで評価が、「絶対評価」に変わりました。ここまでは理にかなっています。しかし今度は、どのレベルを超えたら「5」を出すのか、といった判断基準が必要になります。この基準設定がとても難しいのです。

「絶対評価」になって宿題は急増した

ちなみに文科省の推奨する絶対評価の基準は以下の4項目が25%ずつの配分になっています(一部の教科は5項目)。

1 関心・意欲・態度
2 思考・判断・表現
3 技能
4 知識・理解

2~4はペーパーテストで測れます。しかし、1「関心・意欲・態度」の項目が先生にとっての曲者。一斉授業型のスタイルでは差が見えづらいのです。そのため、「関心・意欲・態度」を「宿題をやってくるかどうか」で判断する先生が急増しました。

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極端な話、宿題の中身は関係なし、提出したかどうかだけを見る教員もいます。その場合も二通りいて、勉強が苦手な子に対して、宿題の提出を評価してあげたい善意タイプの先生もいますし、そもそも忙しすぎて中身まで見ていられない先生もいます。

いずれにせよ、公立学校の宿題は、文科省が評価制度を絶対評価に切り替える通達を出してから一気に増えました。すべての教科の先生が同じように悩むので、すべての教科で宿題が増えたのです。

大人世代が受けた学校教育と比べても、今の子どもたちははるかに宿題量が増えています。しかも文科省はそれを意図したわけではない。予期せぬ副作用として起きたことなのです。

私は何も日本の教育制度を批判したいわけではありません。まず、現状の教育が本当に自律的な子を育てるという最上位の目的にかなっているのか、大人自らが当事者意識をもって問い直していかねばならないことだと考えています。

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