中居正広の分厚いノートの中身
象徴的だったのが、笑福亭鶴瓶とコンビで司会を務めた2007年の紅白歌合戦。台本を読まなければいけないなら引き受けないと主張していた鶴瓶に対し、中居は4時間超の台本をすべて頭に入れ、鶴瓶に後ろからおしりを叩いて合図するなどして、全体を引っ張っていたのです(※15)。
また同じ笑福亭鶴瓶とのタッグでの番組『ザ!世界仰天ニュース』では「打ち合わせしないと不安でしょうがない」ため、毎回打ち合わせをする中居に対し、鶴瓶は打ち合わせに参加せず、ゲストも知らずにフラッとやってくるとか。
そんな鶴瓶に「ふらっと来て、ふらっとやっちゃう」「うらやましい」と敬意を持つ中居と、中居に感謝する鶴瓶とのコンビは15年以上続いています(※16)。
そんな“準備の中居”を象徴するような道具がノートです。分厚いノートを1年に3冊ほど更新。そこには、気になる文章や言葉はもちろん、本を読んでいてわからなかった漢字、いいなと思った音は「◯◯の間奏の◯分◯秒目の音」といったレベルでくわしくメモをするのです(※17)。
他にも映画の出演時には、撮影終了後に期間が空いてから行なわれるインタビュー用に、どんな質問が来ても答えられるように、撮影中から感じたことをメモしている、という少し先を見据えた準備も(※3)。
中居は、本当は苦手だった話すことも、綿密な準備と努力により、克服していきました。そして日本の司会者の頂点まで登りつめていったのです。
強みや個性は、得意なものを磨くことで生まれる、とよく言われます。しかし、中居のように、“苦手だけど、自分が磨くべきもの”をきちんと考えた上で、それを必死に磨いて、強みや個性にしていくというやり方もあるのです。
しかも、中居の場合は“(SMAPという)チームに足りないもの”と“社会が欲する新しいアイドルのかたち”も考慮した上で、あえて“弱みを強みに変えていく”戦略を取ったのです。
「本当の個性」を磨くために
しかし、苦手意識のあるトークをここまで克服できたなら、歌も……という思いはなかったのでしょうか。40歳を超えた、2013年にはこんなことを語っています。
「SMAPでだって、リードボーカルやりたいですよ。でも、それじゃSMAPが崩壊しちゃうからやらないだけ(※18)」
つまり、中居にとっては、歌もトークも、元は苦手の領域であるという認識。でも、創生期の時点でチームに足りないものとして、トークを磨いていったのです。
そして、「歌だけは準備しません。しても無駄というか(笑)」(※3)と笑いに変えるようになっていった中居ですが、歌に注力しなくなるまでの過程にはもうひとつ、理由がありました。
実は、10代の頃の半年間、月に6回、まわりに内緒で50万円近く払ってボイスレッスンに通っていたという中居。ただ、レッスンの受講前と受講後に録ったものに変化が感じられず、「耳が悪すぎる」と言われてあきらめたのです(※9)。
「この道には進まない」と決めるときも、ただ苦手意識があるからと漫然と切り捨てるのではなく、ちゃんとトライをしてから別の道に進む。こうして中居は、司会の道に邁進していったのです。
中居は過去を振り返ってこんな発言をしています。
「『みんなと同じことをしない』という勇気が当時はなかった。自分のなかで協調性は大事にしている部分です。でもいまは、みんなと同じでなくていい、ときに敵をつくる勇気も持たないと、本当の個性は磨かれないと思っています(※3)」
中居の司会術。それは、得意なものを磨いていったのではなく、苦手のものの中から、勇気を持って、努力と準備で磨いていった本当の個性なのです。(文中敬称略)
※1:『PHPスペシャル』2009年1月号
※2:『AERA』2013年9月16日号
※3:『THE21』2008年12月号
※4:『AERA』1997年3月24日号
※5:『コスモポリタン』1995年7月号
※6:『クイック・ジャパン』2014年4月号
※7:『週刊SPA!』2013年9月17・24日合併号
※8:『週刊SPA!』2014年7月22・29日合併号
※9:『ポポロ』2006年8月号
※10:『ザテレビジョン』2013年9月13日号
※11:ニッポン放送「Some girl’SMAP」2012年8月22日放送
※12:『月刊ザテレビジョン』2011年8月号
※13:『婦人公論』2012年4月22日号
※14:NHK「プロフェッショナル仕事の流儀SMAPスペシャル」2011年10月10日放送
※15:テレビ東京「きらきらアフロTM」2017年3月29日放送
※16:『オリ★スタ』2014年11月10日号
※17:『ザテレビジョン』2015年8月28日号
※18:『ESSE』2013年10月号