仕事の場面で数字上の帳尻を合わせることを求められるとき、気づけばその数字だけが問題となって、その仕事の本来の価値が見失われてしまったりする。でも、ここが難しいんです。数字にこだわることで、僕らは確実に何かを失っているんですけど、その失ったものについて、帳簿を見て数字を求める人に伝わるように語るのは本当に難しい。数字にならない価値は現代にあってとてもはかない。

「自分は役立たず」という不安が社会を覆っている

――たとえば会社でも「自分は数字を出せない人間だ」と、ひとりで思い詰めてしまうことがありますよね。

【東畑】自分は役立たずなんじゃないかっていう不安は、僕らの社会を広く覆っています。役に立ってないと「いる」が簡単に脅かされてしまう。それは社会がそう求めているというのもあるけど、僕たち自身が自分で自分を責めて自滅してしまうというのもあるように思います。

でも、実際にはわかりやすく役に立っている人だけでは、コミュニティって作れないんだと思います。それは軍隊みたいな世界観ですよね。各人が役割を果たしていないと生き残れないみたいな。でも、そんな危険をずっと感じているコミュニティには長くいられないですよ。『釣りバカ日誌』とか『美味しんぼ』の世界では、「役立たず」と言われる社員が結構楽しそうに働いていますよね。そういう安心感がないと、コミュニティって持続しないと思うんです。根本的に、人間は危険の中で生きているより安心で安全な世界で生きているほうがいい。

ただ、一方で安心は退屈をもたらすから、難しい。例えば『サザエさん』の世界では同じ時間が延々と続いていますが、やはり退屈ですよね(笑)。もちろん、それはそれでいいんですが、僕らは危険は嫌なんだけど、退屈も嫌で、自らその安全な世界から飛び出してしまう。つまり、僕らは安心を求めてがん保険に入りながら、なんらかの危険の依存症みたいにもなっている。アドベンチャーを人生に求めてしまうのが、僕らの社会なのでしょう。

――人は安心を求めながらも退屈には耐えられない。

【東畑】大学でも自分で問題を発見して解決するというアドベンチャー型の人材を育成することが求められます。主体性というやつですね。「ただ、いる」のが得意という人は就職活動で弱いんですね。でも、絶対そういう人もいる方が、職場は安全な場所に感じられると思いますよ。