反論しなければ相手の論理を受け入れたことになる

日露関係についても、プーチン大統領(以下敬称略)やロシアの首脳、政府関係者たちが、公式的な国際会議や記者会見などで歴史を自国に都合良く歪曲して勝手放題を述べることが、目に余る。そのような場合でも、日本側は沈黙していたり、自らの見解や客観的な事実をきちんと国内・国際発信したりしないことが多すぎる。あるいは「外務省関係では抗議した」と言うが、国民も国際世論も知らされない。国際常識では、このような態度は、日本側が反論できないか、あるいは相手の論理を受け入れた、と見られる。

具体例を挙げよう。2012年3月にプーチンは、日本を含む各国の主要メディア代表を前に、次のように述べた。

「平和条約が意味することは、日本とソ連との間には、領土に関する(色丹島、歯舞群島の2島問題を除く)他の諸要求は存在しない」
「(1956年の日ソ共同宣言には)2島がいかなる諸条件の下に引き渡されるのか、またそれらの島がその後どちらの国の主権下に置かれるかについては、書かれていない」

日本の各メディアは、このときのプーチンの「ヒキワケ」「妥協」発言はクローズアップしたが、島の主権に関するこのような深刻な強硬発言は削除して伝え、日本政府もこの問題についてプーチンの間違った認識を是正する発信をしていない。ちなみに日ソ共同宣言には、島の引き渡し条件は明確にただ一つ、「平和条約締結後」と述べられている。プーチンは勝手な論で、「引き渡しも条件次第」と言いたいのだ。

プーチン大統領は歴史を強引に歪曲した

日露間には、「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の帰属に関する問題を解決し両国関係を完全に正常化する」という東京宣言がある。これは1993年に細川護熙首相とエリツィン大統領の間で調印された宣言だが、プーチンも大統領として2001年のイルクーツク声明、2003年の日露行動計画で東京宣言を基礎にして平和条約を締結するとの日露合意に署名している。つまり、プーチン大統領は日露間には北方四島の帰属問題が未解決の領土問題として残っていることを明確に認めていた。

しかし、2005年9月になって彼は「四島は第2次大戦の結果ロシア領となった。国際的にも認められている。この点について議論するつもりはまったくない」と述べ、歴史を強引に歪曲した。今年1月の日露外相会談の際やその後もラブロフ外相は、「第2次世界大戦の結果を日本が承認することが平和条約交渉の絶対の前提」だと述べたが、彼が強硬派なのではなく、ただ忠実にプーチン路線を踏襲しているにすぎない。