陸軍の一式戦闘機「隼(はやぶさ)」、二式戦闘機「鍾馗(しょうき)」、四式戦闘機「疾風(はやて)」の主務設計担当者が小山だった。小山はフランス語をしゃべることができ、しかも酒が好きだった。時には、マリーとブランデーを飲みながら語り合い、飛行機の開発を進めていった。
パイロットを絶対に死なせてはならない
マリーが強調したのは「搭乗者の安全を守ること」だった。
──いいか、第1次大戦を考えてみよう。あの時、空中戦で機体が撃ち落とされた主因はパイロットに弾が当たったのではない。燃料タンクに火がついて空中火災になり、墜落したんだ。われわれ、技術者はパイロットを守るための設計をしなくてはならない。操縦席にも防備が必要だし、また燃料タンクも守らなければならない。操縦席の後ろには分厚い鉄板を入れて保護をする。燃料タンクの外側にも部材を張り付けるんだ。
──飛行機は設計をすればそれで終わりというものではない。操縦したパイロットの意見を聞くことで改良するんだ。たとえ飛行中に撃たれても、また故障があっても、パイロットが生きて帰ってくれさえすれば故障の内容を聞くことができる。そうすれば改良ができ、飛行機はさらに安全になる。だからパイロットを守る。パイロットを守ることがいい飛行機を作ることにつながるんだ。
──鳥を見ろ。飛行機は鳥の真似をして作られたものだ。すべては自然が教えてくれる。鳥の構造を研究するんだ。
いずれも、小山に対して、マリーが教えたことだった。
若井はこう解説する。
「マリー技師は技量のあるパイロットを失うことを最も恐れていました。戦闘機の設計、航空機の設計にとって大事なのは安全なんだ、と。その辺がドイツからやって来た技師とはまったく考えが違っていたようです。ドイツの技師からすれば戦闘力、スピードといったものが大事だったのかもしれません。しかし、マリー技師は安全と徹底した運動性が命だと小山さんに教えています。戦闘機に重要なのはこのふたつなんだと言っていたのです」
画期的な「低翼単葉」のスタイル
若井によれば小山こそが「当時の航空機のトレンドを決めた男」だった。そして、トレンドとは低翼単葉の構造である。低翼単葉とはひとつの翼が機体の低い位置にある飛行機のことをいう。それまでの飛行機は複葉で、しかも機体の上部に翼があるのが主流だった。だが、マリーから「ヨーロッパでは低翼単葉機が増えている」と聞いた小山は単葉で翼が機体の下にある構造を設計に採り入れていった。以降、日本でもそのスタイルが戦闘機のトレンドとなる。
「これはね、とてもすごいことなんですよ」。若井は言う。
「小山さんは胴体から翼をとび出させたのではなく、ひとつの翼の上に胴体を載せる構造レイアウトを考えたんです。胴体にふたつの翼を付けると、左右の翼に狂いがあってはいけないから製造に手間がかかります。だが、小山さんは、一枚の翼の上に胴体を載せました。一枚の翼を製造して、その上に胴体を載せる。製造は簡単ですし、しかも、下から撃たれた時、パイロットは比較的安全です」