「冬来りなば春遠からじ」というイギリスの詩人シェリーの詩の一節からとったフレーズも、私はよく書きます。なんとなく書いていた時期が長かったのですが、2017年に、私はうつ病になって1年間休場したんですね。復帰して心底、この言葉の意味を痛感しました。

「私はファンの目の前で揮毫する際は、できるだけ相手の顔を見ながら書くようにしています。地方に行くと、随分前に私が書いた色紙を大事に飾ってくれたりしているので、うれしいですね」(先崎氏)

うつ病の真っ只中にいるときは、本もまともに読めなかった。そもそも文字が頭に入ってこないんです。もちろん将棋も指せません。電車に乗るのに駅に行くのが怖い。正確にいうと、ホームに立つのが怖い。飛び込みそうになる、というか線路に自然に吸い込まれそうになるんです。

精神科医である兄の説得で精神神経科へ入院したんですが、体全体が重くだるく、頭の中は真っ暗でした。一日の中でも気分の調子が変わり、ベッドから起きられない日もありました。復帰したいとか勝ちたい気持ちよりも「弱くなりたくない」という恐怖に押しつぶされそうでした。

そんなときに支えになったのが、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルの演説でした。第二次大戦でナチスドイツと戦い、危機に陥っていた状況下で、「大英帝国と英国連邦が1000年存続したあかつきには、『このときこそが最高のときだったのだ』と人々が言えるように振る舞おうではありませんか」と国民に訴えかけた有名な一節です。このフレーズを思い出した頃には、もう、絶対に負けないぞと心を奮い立たせられる状態にまで回復していました。

心にすっと染み入る、故大山名人の一言

将棋界には、自分の師匠とは違う筋の師匠との交流は当たり前のことで、米長先生だけでなく、大山先生にも非常に可愛がってもらいました。盤上では鬼のような強さを発揮されましたから、世間では怖いイメージですよね。でも盤外ではやさしくて、本当に大らかな人でした。大名人で将棋連盟の会長だったんですけど、イベント会場では自ら率先して将棋盤や椅子を運んだりされるので、周りの人間が冷や冷やして戸惑っていました。ああいう人を大人物というのでしょうね。

大山先生は受け(守り)の強さで知られ、「守りの駒は美しい」という揮毫も有名でした。ある日、「先崎君、将棋というのは自分の玉を見るものなんだ」とおっしゃいました。これは「相手の玉を見ると自分の玉に目がいかない。自分の玉を見ていれば自然と相手の玉も、ひいては盤全体も見える。だから将棋は自分の玉を見るものなんだ」という意味でした。実践的で、かつ心にすっと染み入るようで印象に残っています。