▼座右の銘を披露

羽生九段の「運命は勇者に微笑む」

好きな言葉や座右の銘、生き様や信念が反映された言葉など、思い思いの字を色紙などにしたためることが「揮毫」ですが、将棋の棋士は昔からしばしばそういう機会があります。特に扇子に書くときなんかは、みんな気合が入るんですよ。

棋士の揮毫は、1人が一通りというわけではなく、みなさん複数持っています。ただ、今の若い棋士が書かれるのは、意味がちょっとわからないことが多くて、政治家かよと(笑)。1度、「これ、どういう意味なんだよ」と聞いたら、「いや、書道の先生に教わったもので」って。日本将棋連盟では、東京と大阪に部活動みたいなノリの書道部があります。そのせいか、今は拙い字の棋士が本当に少なくなっちゃいました。そこに参加しないまでも、書道の先生にいろいろ奥床しい言葉を聞いて憶えるということはあると思います。

羽生さん(善治九段)がよく書いているのは「玲瓏」や「泰然自若」。大山先生(康晴十五世名人)の「王将」や「忍」、大山先生のライバルだった升田先生(幸三実力制第四代名人)の「新手一生」はよく知られています(以上写真・表参照)。私の師匠の米長先生(邦雄永世棋聖)は「惜福」。中原先生(誠十六世名人)の「無心」は、書きやすいので私も真似させていただきました。

最近の羽生さんの「運命は勇者に微笑む」って、いいですね。将棋の終盤戦って、ものすごく心細いんですよ。何か間違っているんじゃないか?と自分を疑ったり。そういう場では勇気を出すのが大事ってことですね。これほんと、凄くいい。こうした言葉は、本当にその人そのものだと思えるくらいフィットしていると思います。あまり意識せずに、自分に合うフレーズを自然と選んじゃうってことだと思います。古典から引っ張るのもいいけど、それじゃつまらない。自分のシンボルなんですから、普段の読書なんかで自然と感銘を受けた言葉を、素直に選ぶのがいいんじゃないでしょうか。

私は、株取引をよくやっていたときはジャン・コクトーの「青年は決して確実な株を買ってはならない」が好きでしたが、一番多く書いてきたのは「棋は対話」。将棋は相手の意を汲み取って裏を返し、相手がまたその裏を突き、さらに勝負手を繰り出す。そうした駆け引きそのものが、物言わぬ対話であるわけです。勝負の本質は、相手とのそうした見えざるコミュニケーションにあるんじゃないでしょうか。