日本国内の技術と鉄材でつくられた初めての鉄橋も

沿線に広がるふたつの町村のうち、南の終着駅高森駅のある高森町では、この20年で人口が2割近く減少し、高齢化率は4割に届こうとしている。熊本市に近い南阿蘇村でも、人口減少率は11パーセント、高齢化率は約35パーセントである。

過疎化が進むなか、観光資源として価値の付加に成功した結果、南阿蘇鉄道は、生活路線としても高校生の通学を支え続けることができたのだった。

北の終着駅立野駅と隣駅長陽駅の間にある60メートルの谷をつなぐ白川第一橋梁は、日本国内の技術と鉄材(当時の八幡製鉄所)によってつくられた初めての鉄橋だ。鉄橋から臨む景色を目的に南阿蘇鉄道に乗りにやってくる観光客も多い。2015年には土木学会選奨土木遺産認定を受けた。

地震により現在不通となっているこの区間は、橋梁をいったん取り外し、部品を全てばらして組み立て直す予定だという。

南阿蘇鉄道の発着駅である高森駅。(撮影=三宅玲子)

「生活路線の切断」で進学の選択肢が狭まった

第三セクターの構成自治体である南阿蘇村と高森町は、2017(平成29)年4月、熊本県や関係団体と合同で、鉄道の復旧を目指して南阿蘇鉄道再生協議会を発足していた。

南阿蘇村から高森町役場に出向している後藤大介さんはこう話す。

「地震のあった年は、観光客が1割にまで激減しました。それまでは、福岡や熊本から大手の旅行会社のツアーでインバウンドの観光客が連日100人単位で訪れていました」

高森町役場の本川宰さんは「生活路線の切断は若い人たちにダイレクトに響いた」と話した。

「高森町に1校ある高校、県立高森高校は、地震前には地元中学卒業生の同高への進学率は1割程度でしたが、地震後には約3割に増加しました」

高校生にとって、進学の選択肢が狭まったという側面があるのだ。

全線復旧までの間、部分開通している区間での利用を少しでも増やし、赤字を横ばいに維持するための支援に取り組んでいる。その一環として、移住定住の促進にも力を入れているという。