歴代天皇125人で上皇になったのは60人、出家するケースも多い
天皇家と仏教の関連性についても述べたい。
5月、令和への改元と同時に、今上天皇は退位し、上皇(太上天皇)となる。上皇の誕生は江戸時代の光格上皇以来、およそ200年ぶりである。
上皇の最初は、女帝の第35代皇極天皇が譲位した時と言われている。正式に上皇という称号が使われたのは、第41代持統天皇の時だ。歴代天皇125人のうち上皇になったのは60人と半数近くに及ぶ(神話上の天皇を除けば、過半数が上皇になっている)。
かつての上皇は、仏教に帰依し、出家するケースがしばしばであった。出家した上皇は法皇と呼ばれた。長年、皇室と仏教は密接な関係で結ばれており、江戸時代までその慣習は続く。歴代法皇の数は35人。現在では、上皇が法皇になるなどは、あり得ないことであろう。だが、歴史を紐解けば、それもさほど不思議ではないことがわかる。
7世紀ごろまで、天皇は「スメラミコト(統べる偉大な人)」と呼ばれ、崇められた宗教的統治者であった。外来宗教である仏教を取り入れ、自ら帰依した最初が、第33代推古天皇時代だ。その後、天皇自らが僧侶になるという不思議な宗教混淆形態をたどる。
天皇が実際に出家(受戒)した最初は、第45代聖武天皇と言われる。聖武天皇は全国に、国分寺・国分尼寺を造ったり、東大寺の大仏建立を推し進めたりした天皇として教科書にも載っている。
法皇の名で呼ばれた最初は第59代宇多天皇。宇多天皇は、東寺での受戒の儀式を経て、仁和寺に入って住職となった。以来、仁和寺は皇族が住職を務める格式の高い門跡寺院として繁栄していく。仁和寺は「御室御所」とも呼ばれるようになった。
門跡寺院の他には、平安時代に嵯峨天皇の離宮として建立され、「嵯峨御所」と呼ばれた大覚寺(京都市右京区)や、鳥羽法皇ゆかりの青蓮院(同東山区)、後白河法皇が門主を務めた妙法院(同東山区)など全国に30カ寺ほどある。