明治以前は天皇家と仏教には強い関連性があった
さらに、京都には「天皇家の菩提寺」がある。泉涌寺(同東山区)である。泉涌寺には、江戸時代までの天皇の墓がある。
泉涌寺と皇室との関係は13世紀にさかのぼる。四条天皇が12歳で崩御した際、泉涌寺で葬儀が実施された。南北朝時代以降は9代続けて天皇の火葬所となる。すると泉涌寺は「皇室の御寺」との位置付けとなり、江戸時代の後水尾天皇から孝明天皇、そしてその皇后はすべて泉涌寺の月輪陵(もしくは後月輪陵)と呼ばれる区画に埋葬されるようになっていく。その数は、25陵と5灰塚、9墓(親王らの墓)に及んだ。
泉涌寺の陵墓は、古代の大王(おおきみ)や明治天皇以降の巨大陵墓と比べて、かなり質素で小規模なもの。意匠は仏式の九重の石塔だ。泉涌寺では、歴代天皇の位牌を安置し、朝夕、同寺の僧侶によって、読経がなされている。各天皇の祥月命日には皇室の代理として、宮内庁京都事務所からの参拝が行われるという。
以上、長い歴史を俯瞰すれば天皇家(あるいは元号)と仏教とは切っても切れない関係性にあった。むしろ、明治以降現在までの天皇家のありようのほうが「特殊な状態」と言えるだろう。
(写真=アフロ 撮影=鵜飼秀徳)