エナジー爆発、アントニオ猪木の生き方に学ぶ
公務員的な生き方と対極にあるのがアントニオ猪木です。「やりたい」「したい」「食べたい」「気持ちよくなりたい」というエナジーが人一倍あります。おいしい話が大好きで、揉めごとも大好き。本能で生きている状態です。
10年ほど前、必要最低限の物を持って生活する「ミニマリスト」が流行りました。いまでも実践している人がいるかと思います。しかし、僕は、「とにかく物を捨てる」「物を持たない」という行為が目的化することに、ものすごく違和感を覚えるのです。
ミニマリストは、なりたくてなる存在ではなく、あくまでも気づいたら自然にそうなっていたというものであるべきではないでしょうか。そもそも自分に必要がなくなり捨てていくから、ミニマリストになるわけです。それが憧れのアイコンとなり、形から入るからおかしなことになるというのが僕の意見です。完全に本質からズレているのです。
あくまでもミニマリストは手段であり、目的ではありません。手段が目的になってしまうと「ミニマリストになったはいいけれど、そのあと何すればいいんだ?」となるでしょう。ミニマリストは「生き方」「ライフスタイル」であるべきです。
本当は「持ちたい」のですが、たくさん持っている人の「こんなに持ってるぜ」というスタイルがいやだから、流行に乗って「ミニマリストになる」と宣言し、そっちに振り切ろうとする。そんな自称ミニマリスト程度の覚悟では、本当の意味での自己実現はできません。
後輩に「かんばってきたね」と声をかけた理由
大切なのは、人に流されず、「自分だけのものさし」を持つことです。自分だけのものさしとは、信念と言い換えてもいいでしょう。そして、人は信念があるから、がんばり続けることができます。
先日、「格闘代理戦争」というテレビ番組で、後輩選手の試合が終わったあとに、多くの人が「がんばったね」と言うなかで、僕は「がんばってきたね」と言いました。後輩がその言葉をどう理解したかわからないけれど、「がんばってきたね」と言ったのは、番組出演が決まって、何とかして上に行きたいとあがいてきたその試合までの経緯を知っていたからです。僕は試合のことではなくて、後輩が信念を抱き、がんばり続けたことに対して、声をかけました。
言葉をどう相手に伝えてあげられるかは、みんなあまり深く考えないのですが、僕としてはもっと考えてほしいと思っています。「きた」の2文字を入れるか入れないかで、言葉の意味がガラッと変わります。人間は言葉をしゃべる生き物です。言葉がなくなると、大きなものを失ってしまいます。
言葉をどう伝えるか、どうやって言ったら伝わりやすいか。逆に、どうやって言ったらカドが立つか、どこまで伝えたらいいかは、やっぱり大事にしていきたい。そのため、僕はそのことばかりを考えています。