言葉を持っている人はかっこいい
僕はプロレスが好きだったから、格闘技をやる前から「言葉の力」というものを意識していました。昔、武藤敬司がケガ明けで試合をしたときに「リングが冷たく感じたよ」と発言したことがありました。復帰したばかりで慣れていない感じを「冷たい」と表現した。そのとき僕は中学生だったのですが、この言葉に衝撃を受けたのです。武藤敬司は言葉のあるレスラーなので「うわ、こいつ、かっこいい」と素直に思ったのです。
ずっと、アーティストやアスリートが発する言葉に魅了されてきました。ボクシングの畑山隆則が坂本博之と戦ったときに、「相手のほうがパンチがある。僕は顎が弱い。彼は顎が強い。僕はパンチがない。だから、僕が勝つんだ」と言っていて、畑山も言葉があってすごいなと思いました。
2018年は、言葉の逸材が出てきました。僕のなかで、いちばんおもしろかったのは至学館大学の谷岡郁子学長です。ボクシングの「男・山根」もよかった。僕は、ああいう人が出てきたときに「すごい逸材が出てきた!」とその才能を喜ぶのですが、それに対して本気で怒っている人がいるのは、ありがたくもあり、何かつらくもあり、非常に複雑な気持ちになります。
ジャンルをスライドさせて自分の言葉に落とし込む
ああいった才能を根絶やしにしちゃったら、日本にとってマイナスになってしまう、それが僕の意見。それこそ「白か黒か」というつまらない世界になってしまいます。ジャンルをスライドさせて自分の言葉に落とし込む言葉を持っている人か持っていない人かというのは、教養の差によるものです。物語を知らないと、言葉を持つことはできません。
教養や物語がないのはやっぱりさみしい。「言葉を持っている」というのは、ある種の宗教みたいなもので、信じる言葉があるということです。信じる言葉がある人は自分を騙せます。迷ったときに、言葉にすがることができるのです。
つらいのは、結局、世の中が「損得」とか、わかりやすいものに流されていってしまうことです。
僕はストーリーが見える選手になりたいと思っています。ちゃんとストーリーがあるというのは、その人が戦う意味があるということです。そして、僕は言葉でもストーリーを表現したい。
普通にいまから言葉を勉強しても、賢い人には競り負けてしまうのがわかっています。よって、僕は格闘技とリンクさせてしゃべるようにしています。そうすると、自分にしかないオリジナルになる。ビジネスの話を格闘技に持ってきたり、格闘技の話をビジネスに持っていったりするのは有効です。この「横移動」ができると、だいぶ強くなります。大事なのは、人に流されることなく、自分の言葉でしゃべることなのです。