イタリア半島から出て史上空前の大帝国を築いたのはローマである。最盛期であるハドリアヌス帝の時代には、その領土は東はユーフラテス川、西はブリタニア島、南はサハラ砂漠に達した。この版図(はんと)拡大と、その後の領土の支配に軍隊が果たした役割は大きいが、統治のための官僚機構が果たしたそれも大なるものがある。
役人は、中央の指令を適切に伝達しそれを全土にくまなく実施するとともに、それぞれの地域の情勢をローマに的確に伝達したのである。そのプロセスを通じて、ローマ法が領土にあまねく伝播され、ついに「ローマは三度世界を征服した、武力によって、次にキリスト教によって、そしてローマ法によって」と言われるにいたったのである。大ローマ帝国の発展を支えたのは強固な官僚機構とその下の優秀な官僚であった。
世界共通の「官僚の文章道」
1986年の先進国首脳会議(サミット)は日本で開かれた。この種の会合では、たとえばそこで発表される宣言文については、事前にある程度の原案を準備しておくのが慣例である。そしてその原案作成の責任者は主催国(この場合は日本)であった。
この年の東京サミット宣言のうちのマクロ経済政策については、先進7カ国の蔵相代理たちがその原案をつくることとされた。日頃から5カ国蔵相代理会議や10カ国蔵相代理会議で顔なじみの人たちは、宣言文の構成やその中に盛り込むべき事項やその具体的な表現などについて実に詳細に議論を行なった。
筆者は大蔵省のサミット担当課長としてただ一人の事務局としてこの議論の手伝いをした。日、米、英、独、仏、伊、加の次官級の人々が、「その表現ではなく、こちらが良い」とか「それでは順番が逆だ」とか、 「そういう誤解を生みやすい言い方はやめたほうがよい」などと議論するのを聞きながら、彼らが合意した案文を書きとるのが筆者の役目であった。
その作業を通じて、筆者は洋の東西を問わず、役人が文章の表現にきわめて厳格であること、これらの官僚のトップが秀れた作文力の持ち主であること、そして何よりも文章が大切であることについて世界の役人仲間でコンセンサスがあるらしいことを思ったのである。すなわち、「文章道は世界共通である」ということである。
そうである以上、わが国の役人が作文力の修業を積むこと、その結果として正確な文章を書けるようになることは諸外国の役人に対するわが国の役人の競争力を高め、わが国の国益の推進にもつながるのである。
西日本シティ銀行会長
1942年生まれ。福岡県出身。66年、東京大学法学部卒業、大蔵省(現・財務省)入省。69年、オックスフォード大学経済学修士。税制改正、財政投融資計画、省内調整などを手がけた後、サミットなどの国際金融交渉にかかわり、議長として95年の日米金融協議をまとめる。国際金融局次長、関税局長を経て国土庁事務次官を最後に退官。現在、西日本シティ銀行会長および西日本フィナンシャルホールディングス会長。著書に『新しい国際金融』(有斐閣)、『日米金融交渉の真実』(日経BP社)など。