官僚にとって課長や局長といった「長」のつく役職に就くことには特別な意味がある。限られた「役人人生」のなかで、責任をもって自らの判断に基づき仕事を行えるのは、「長」の肩書を持つ間だけだからだ。元財務官僚の久保田勇夫氏は「『長』の肩書きをもつ人は、命を削る勢いで仕事に打ち込む。そのメカニズムを理解していれば、周囲の人間は働きやすくなる」という――。

※本稿は、久保田勇夫『新装版 役人道入門 組織人のためのメソッド』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

霞が関では、上司は上位にあればあるほど自らの仕事に打ち込んでおり、部下からみれば異常なほどその仕事に執念を燃やしているのだという――。東京都千代田区の財務省本庁舎 ※写真はイメージです(写真=iStock.com/7maru)

官僚の世界では、上司は仕事に本気である

おそらく役所に入ったばかりや、入省後1、2年の役人にとってわかりづらい上司の特性は、上司の自らの仕事に対する深い思い入れであろう。特に課長や局長といった「長」と名のついた人にとっては、当人が長年やりたいと思い続けたポストにようやく就いたわけであるので、ここで乾坤一擲(けんこんいってき)、自らの役人人生を賭けて仕事に打ち込むのである。

世の中では、役人は自らの省の利益のために懸命に仕事をするのだという説が流布されているがそうではない。後に述べる通り役人は文字通り命を削って仕事をしているが、自らの属する省の利益のために命を削る者はいまい。その背後にあるのは、国益を守るという意識と自らの仕事を完遂しようとする役人としての生きざまであるように思う。斜に構えてものを見たり、人が努力をするのは本人の利益のためであるはずだとする社会一般の雰囲気のなかでこういうことを理解することは困難かもしれないが、これは厳然たる事実である。

筆者が係長であった頃、大蔵省の地下の食堂で遅い昼食をとり始めていた財政投融資計画担当の課長補佐氏に局長からの伝言を伝えたところ「有難う、よく知らせてくれた」とただちに食事を中断して執務室に戻られたのをみて、「食事ぐらい済ませてからにすればいいのに」と思ったものであった。が、1、2年経った後、自らもそういう行動パターンをとるようになってしまった。

また、主税局の課長補佐であった頃、局長のお供をして与党の国会議員の人々に法案の説明(いわゆる根回し)に回ったが、その際車の隣の座席にいる筆者の耳に「ハーハー」と局長の荒い呼吸音が聞こえてくるので、大変心配したものである。文字通り身体を張って仕事をしておられた。そういう状態は現在でもあまり変わっていない。