筆者が主税局の課長補佐の時代に新しい道路整備5カ年計画のための財源のあり方について検討していたときのことである。そのときのテーマの1つは、地方の道路、すなわち県道や市町村道の建設について、国が負担する割合が少な過ぎるのではないかということであった。その際、国が負担している財源としては、国が徴収して地方に渡しているガソリン税(税目としては地方道路譲与税)および自動車重量税の一部(自動車重量譲与税)を意味していた。そしてこれらの税の金額が少な過ぎるのではないかということであった。

それに対して筆者は、国から地方へ渡される税収は、このような道路関係の財源のみならず、法人税、所得税、および酒税といった国税の一定割合が地方に使途を定めずに一般財源として交付されている事実があるので、道路建設のために地方が負担していると称している資金の一部は結局は国が負担していることになっていると考えた。

ここで、こういう要素も考えて国の負担割合の実情を考えるべきだと時の課長に進言した(この計算方式によれば国の実際の負担割合はもっと高いことになるはずであった)。課長は「うん、そだな」とあまり気乗りしない返事であったが、筆者はその作業を続けた。そのうち仕事がきわめて多忙になり(増税をしようというのであるから当然である)、結局このアプローチは活用されなかった。

年末にいたり、税制改正の大綱も決定され一息ついたところで、課長にどうしてあのアプローチに興味を示されなかったのか聞いたのである、これに対する返事は「自分は君の考え方に賛成だった、だが、途中で君がその件を言わなくなったのでそういう作業がうまくいかなくなったと思ったんだ」とのこと。この間もう少し上司とコミュニケーションを良くしておくべきだったと反省するとともに、上司も部下をみながら仕事をしているということに気がついたのである。あわせて、部下は自分が気づいていないところで意外なほど影響力を行使していることを感じたのである。

先に上司を使うと述べたが、その趣旨はもちろん上司をアゴで使うという意味ではない。政策について自らの考えていく方向に導くということである。上司にその政策に賛同してもらい、その線に沿って動いてもらうということである。

ただそのためには、自らの提唱する政策の方向が正しいものでなければならない。また、政策の提言がタイミングよく行なわれなければならない。そこで、上司を使おうとするならば、常日頃から格別の勉強をして上司のそれを上まわる良い結論を得ておかなければならない。