スタッフの半分は「釜炊きご飯」も炊ける

そして、フラットなコミュニケーション、組織文化の背景ともなっているのは、スタッフがマルチタスクを行っていること。

星のや東京の澤田裕一総支配人(撮影=石橋素幸)

澤田総支配人は言う。

「従来、旅館には女中さんがいます。彼女が部屋付きとなって、お客さまの食事を提供したり、お茶を出したりしました。サッカーで言えばマンツーマンディフェンスですね。しかし、当館はゾーンディフェンスのようなイメージ。お客さまにはチームでサービスします。サービスチームが食事を部屋に持っていくし、部屋の清掃もやります。また、フロント業務も担当します。調理もします。スタッフの半分くらいは釜炊きご飯だって炊けますよ」

ホテル、旅館のサービスはタテ割りだ。料理人は料理しかやらないし、フロントはフロント業務しか担当しない。布団の上げ下ろしをする人間はそれだけをやる。

ところが星のや東京のスタッフは誰でもすべての業務をこなすことができる。そのため、夕食の給仕中に「明日の朝のごはん、お粥と漬物だけがいいな」といった要望が出たとしても、彼もしくは彼女は即答できる。

「はい、大丈夫です。おいしいお粥をご用意します」

これがもし、タテ割り業務の組織だと、「すみません、ただいま料理長に確認してまいります」と言い残したまま、30分くらい、戻ってこないといった事態もある。

部屋でサービスをしている人間が調理場の事情もわかっているから、作ることのできる料理を瞬時に判断することができる。また、フラットな組織文化が根づいているから、その場で料理長に代わって判断しても問題はない。

客はお粥ができるのか、できないのかをいらいらしながら待たなくともいい。

「真実の瞬間」をスタッフがこなせる組織に

「サービス産業の特徴は消費の即時性です。スタッフが接客した瞬間に消費が完結するので、お客さまとスタッフの接触の瞬間に経営者、総支配人は関与できません。スタッフ一人ひとりの判断が大切ですし、しかも、瞬時に行うことが必要なんです」(澤田総支配人)

星野リゾートの特質は施設やデザインの現代性、機能性で語られることが多い。しかし、同社の本当の特質とはサービスにある。全員で客をもてなそうという意識が独特のサービスに表れている。

「顧客から要望を受けたときに、それを受けるのか、断るのか、それとも代替案を提供するのか、その経営判断は接客する社員一人ひとりが瞬時に行うことができる必要があります。これは『真実の瞬間』と呼ばれ、ホスピタリティー・マネジメントのアカデミックな分野で著名なケーススタディとなっています」

星野リゾートの星野代表は著書のなかで、フラットなコミュニケーションを徹底し、またマルチタスクのサービスを行うことで、「真実の瞬間」を見事にこなす組織をつくりあげたいと願っている。

私たち客が「真実の瞬間」を体験するには星野リゾートのどこかに泊まってみるしかない。

野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
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