成果主義の一つの帰結は“分別人事”の進展
またもう一つの影響は「成果主義」である。ただし、私は、「成果主義」という言葉を、人事用語としては用いていない。人事における評価・処遇制度の変化は確かに日本の人材マネジメントにおける大きな変化ではあったが、実は制度の変化としては中途半端である。むしろ、重要なのは、成果主義の影響が、単に制度の変更にとどまらなかった点だろう。いうなれば、経営の中における人材の位置づけや、人のマネジメントの仕方に関して、ある一定の変化を及ぼしたのである。
そして、私は、成果主義の及ぼした変化として、「個別人事の進展」があったというのは正しくないと思っている。いわゆる人事用語としての成果主義という考え方は、一般的には人材の個別管理の推進であるように言われることが多い。一人ひとりの成果や企業への貢献を評価して、それに合わせた人材マネジメントを行う。それが成果主義だと言われてきた。
実際に進んだのは、人材の“分別管理”である。つまり、選抜型の人事やリーダー層への傾斜投資など、“できる人”に多くの関心を払い、それ以外の人たちにはできるだけ効率的に行う人材マネジメントなのである。経営が意図的に、個別人事を行う範囲を狭めてきたともいえる。ハイパフォーマーについては多くの個別配慮を与え、それ以外の人材についてはマス管理をする。いわゆる成果主義の導入にともなって、タレント(優秀人材)とそうでない人の区別を明確にし、前者については個別人事、後者については集団的な管理を進めた企業が多いのではないだろうか。成果主義の一つの帰結は、“分別人事”の進展だったのである。
ただ、同時期に、働くほうにも変化があった。いわゆるダイバーシティの増大である。また、それにともなって、「ダイバーシティ意識」と呼ぶものも台頭した。前者は、いうまでもなく人材多様性の増大であり、後者は、個性を大切にする人材マネジメントを企業に期待する意識の台頭である。
もちろん、ダイバーシティの増大それ自体は悪いことではない。というか、ある意味では、必然である。無理やり人材の多様性を高めなくても、性別や年齢、国籍などではなく、その人のもつ能力や潜在可能性、あげてきた成果などに基づいて人材マネジメントを行えば自然と多様性は増大する。また、企業買収・経営統合、グローバル化も人材ダイバーシティを高める。
ただ、ダイバーシティの増大によって個別人事が難しくなったのも事実である。個別人事というのは、一人ひとりの能力、適性、キャリアなどに合わせて行う人事である。当然だが、多様性が高まると、人事に関する意思決定で考慮すべき要素が幾何級数的に増加する。
さらに、わが国の場合、ダイバーシティ増大は、外から見える多様性(いわゆる表層的ダイバーシティ)よりも、そこにコミュニケーションが介在しないと把握しにくい個人の仕事観やライフプランなどに関する多様性(深いダイバーシティ)である場合が多いため、さらに難しくなる。例えば、その人がもつキャリア目標や仕事についての考え方、プライドの源泉などの要素である。また最近では、キャリアだけではなく、ワークライフバランスに関する情報も大切になってきた。
こうしたことは表面からはわからない。深い対話を通して、初めてわかる種類のダイバーシティである。しかし、ワークライフバランスへの関心が高まる中で、私が見る限り、多くの企業は驚くほど、従業員一人ひとりのワークとライフのバランスに関する考え方や、人生設計についての計画を把握していない。さらに、同時にダイバーシティが尊重されるべきだという意識(ダイバーシティ意識)も高くなってきた。こういう状況の中で、企業の中での人材に関する情報の流通はか細く途切れそうになっている。いうなれば個別人事への期待と必要性が高まる中で、働く人と経営の変化が、個別人事を難しくしているのである。
ただ、ここでもう少し働く人について考えてみると、個別人事を通して、会社が自分のために人事を考えてくれているという感覚を働く人にもってもらうことができるとしたら、それはとても貴重なものである。自分は単なる数字ではない、一個の人材として会社や人事が考えてくれている。こうした感覚は、働く人を勇気づけ、働く意欲を高める。「人事や会社から見守られている」という感覚は、働く人の勇気の源泉になるだろう。