科学が進歩するためなら何をしてもいいのか

【受講者B】こういう問題は、隠れている問題や前提を考えだすとキリがないので、直感を信じてイエスかノーかでまず考えてみようとなって、するとグループの全員が、三つの選択肢すべてに対してイエスという答えでした。

『答えのない世界に立ち向かう哲学講座――AI・バイオサイエンス・資本主義の未来』(岡本裕一朗著・早川書房刊)

【岡本】それは非常に重要なことですね。基本的には直感を大前提にしつつ、どう正当化するかの問題です。その直感を根拠づけるのはいったいなんだろうか、という。逆に、女子学生とチンパンジーの交配は認められないという結論になったグループはありますか?

【受講者C】まったく認めないわけではないのですが、全部を認めてしまうと、科学が進歩するためには何をしてもいいことになるのではないか、歯止めがきかなくなるのではないかと危惧します。新しい歯止めを設けるべきだと思うんですが、それが具体的に何なのかはつかめませんでした。

【岡本】ドイツの哲学者のユルゲン・ハーバーマスが抱いたのと同じ危機感覚かもしれませんね。彼は「類的存在としてのわれわれ」を強調したので、おそらくチンパンジーとの交配を認めないでしょう。

しかし、なぜ認めてはいけないのかは非常に大きな問題です。チンパンジーとの子どもだからダメなのでしょうか。だとしたら、障害者の子どもだからダメ、ユダヤ系の子どもだからダメとなり、優生学に容易につながります(優生学については後ほどさらに詳しく見ていきます)。

ヒト遺伝子改変の口火は切られた

【岡本】遺伝子操作の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

1950年代、DNAの二重らせん構造が解明されました。70年代に遺伝子工学の発展があり、試験管ベビーが誕生します。90年代にスタートしたヒトゲノム計画は、早くも2003年に完了しました。この間、1996年には体細胞クローン羊のドリーが誕生して、現在はCRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)などのゲノム編集技術が確立しつつあります。

遺伝子操作の時代が、間違いなくやってきています。新生物をつくる実験が、着々と積み重ねられている。羽のないニワトリ、自然界に存在しない色の花、巨大化したマウス、光るネコ……。遺伝子組み換えで太らせたサケや筋肉量を二倍にした牛をつくって、食糧難の地域に売りこむなどの応用事例もあります。

この技術が次は人間に向かうことは容易に予想がつきます。あとは人間への応用あるのみという状況です。2015年には中国の研究チームがヒトの受精卵に対してゲノム編集を行なったと発表しました。86個のヒトの受精卵に対し、地中海性貧血症という遺伝性疾患の原因になる遺伝子の切除を試みて、28個を修復したそうです。

遺伝性の疾患には難病が多くて、なかなか治療が難しい。一番有効な治療法は遺伝子の組み換えでしょうから、今後は非常に重要な課題になっていくと思います。

そこで、このような技術の適用はどこまで許容されるのかを考えてみましょう。