最後は「誰かのために」が支えになる
本当に苦しくなったときは、むしろ誰かの支えが必要です。「日本で応援してくれている人たちのために」あきらめないし、「家族のために」ゴールまで頑張れる。最後の最後は「誰かのために」と思えないと、自己満足だけでは、決して極限状態を乗り越えることはできません。
2016年に南米チリ、パタゴニアのウルトラ・フィオルドを走ったとき、最後は本当に苦しくて、家族が伴走しながら応援してくれる幻覚まで見ました。「娘のために」と思うと、耐えられる自分がいる。ここであきらめてしまったら、娘が大きくなったときに「あのとき、パパは止めちゃったんだ」と思われてしまうかもしれない。そんな姿は見せたくない。
お世話になった人たちの顔が浮かんでは消え、「こんなことじゃダメだ、ここで止まったらいけない」と自分に何度も何度も言い聞かせました。100キロを過ぎてからは、「もうやめたい」「すぐにでもリタイアしたい」と何百回も思います。それでもやめないのは、誰かが支えてくれるからです。
レース前は「自分のために」、終盤の苦しいときは「誰かのために」走る。途中で気持ちを切り替えて、自分を奮い立たせることが、最後まであきらめず、走り抜く力になるのです。
プロトレイルランナー
1968年、群馬県生まれ。群馬県庁で働きながら、アマチュア選手として数々の大会で優勝。40歳でプロ選手となる異色の経歴を持つ。2009年、世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(通称UTMB、3カ国周回、走距離166km)」にて世界3位。現在も世界レベルのレースで常に上位入賞を果たしており、50歳でのUTMB再挑戦を表明。主な著書に『極限のトレイルラン』(新潮社)などがある。