「誰が取ったか」ではなく「どんな相撲だったか」

たとえば、千秋楽の御嶽海・豊山戦。すでに初優勝を決めていた御嶽海に慢心はなく、1秒たりとも気を抜くこともなかった。激しくダイナミックな攻防の末に豊山が際どく勝つ、すばらしい相撲だった。相撲ファンは「誰が取ったか」ではなく「どんな相撲だったか」を評価するのである。

千秋楽のテレビ中継で解説の舞の海秀平氏も「いつもの場所よりもはるかに面白い」と語った。勘案するに、モンゴル人横綱が優勝を決めてしまう(しかも千秋楽を待たずして)、いつもの場所の終盤戦ならば、命をかけたような取組はあまり見られない……ということだろう。皮肉なことに、モンゴル人横綱2人がいないことで、土俵の真剣度が高まったのだ。

ほかにも、3日目の高安・千代の国戦も思わず拳に力が入る内容だった(千代の国の勝ち)。土俵際の攻防に、絶対に勝ちたいという千代の国の気持ちが強烈に表れていた。

じゃあよかったじゃないか。「カネ返せ」は少し言いすぎだったんじゃないか。とは、いかないのである。

横綱はそう簡単に休場してもらっては困る。大相撲の看板・横綱には土俵入りを披露する義務がある。

取組でも、優勝に絡まなくても構わないから、「これぞ横綱!」という妙技を見せつけてほしい。たとえ力が衰えようとも、ここ一番の集中力で御嶽海のような新鋭に立ちはだかってもらいたい。それこそが上に立つものの責務ではないだろうか。イコール土俵の充実につながり、ファンは顔の前で手を叩くことになる。

特に、連続8場所休場となった稀勢の里。7連続休場の貴乃花の記録を破ってしまった。ケガと格闘し、暑すぎる夏を過ごす横綱本人が一番辛いことは承知のうえで、9月の秋場所での土俵復帰を切望する。

強烈なおっつけなどの相撲の強さももちろん魅力だが、勝っても負けても表情を変えない厳格なストイックさがいい。稀勢の里の存在こそが土俵の充実なのである。

(写真=時事通信フォト)
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