知恵を使い、最小限のコストで最大限の勝利を得る戦い方

一方、機動戦は迅速な意思決定と兵力の移動・集中により、敵に対して物理的、心理的に優位に立ち、主導権を握る。絶えず変転する状況に対応するため、現場での判断と実践が優先され、個人のリーダーシップと自律分散的なネットワーク型組織が必要になる。定性的判断に基づくアートとしての戦い方だ。

現代の戦争においては、機動戦の重要性が増している。アメリカ軍は消耗戦を得意とするため、イラク戦争でも当初、消耗戦を挑んだ。ところが、その後、ゲリラ戦へと突入。現地武装勢力の攻撃に悩まされた。そこで、ゲリラやテロリストを鎮圧する「対反乱作戦」に通じた司令官を派遣し、機動戦に転換して、治安回復が進んだ。

ビジネスの世界でも同様だ。変化の激しい市場での事業展開には、価値の源泉となる知識を高速回転で創造し、戦略から戦術レベルまで柔軟な構想力と迅速な判断力、行動力を駆使する「知的機動戦」が重要になっている。

『孫子』は大小の国々が群雄割拠していた中国の春秋戦国時代に、機動戦を説いていた。「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」の「風林火山」の一節はその典型だろう。

もう1つ、別の視点から見てみよう。戦略論の名著に19世紀のプロイセンの軍人クラウゼヴィッツの『戦争論』がある。軍事関係者必読の書だ。『孫子』とは、リーダーの定性的でアート的な判断を重視している点では共通しているが、大きな違いがある。クラウゼヴィッツは、戦わずして勝利を収めることは困難であると宣言し、戦争の不確実性を強調しながらも、具体的な作戦や戦術を分析した。命題に対して分類的な手法を用いて徹底的に検討し、その叙述は論理的だ。

反対に、『孫子』は「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」と説き、知恵を使い、最小限のコストで最大限の勝利を得る賢い戦い方を理想とした。根底には非戦論が流れる。叙述は理論的に突き詰めるというより、抽象度が高く、茫漠としており、格言的だ。つまり一読して、「そういわれればそうだ」と納得するものが多い。

これらのことから、『孫子』が愛読される理由を考えると次のようになる。第1に、分析的、定量的、サイエンス的思考、いわばMBA的思考に偏っていた人々にとっては、定性的でアートな判断による迅速な意思決定を重視し、知的機動戦を説く『孫子』は反省のための書となる。戦いにはサイエンスとアートの両面が相互補完的に必要だからだ。第2に、分析派とは対照的に、自分の経験を頼みに戦い続けてきた人々にとっても、『孫子』の格言を読みつつ顧みると、「あれはそういうことだったのか」と経験が整理される。

いずれにしろ、これまで戦ってきた人々が自省的・自戒的に読む分には意味がある。問題はこれから戦おうとする人々にとって、どれほど価値を持つかという点だ。『孫子』は「戦わずして勝つ」を最善とするため、「勝つにはどうすればいいか」という戦い方の実践論についてはあまり述べていない。