「私はゼロから1にするのが好きなんです」

【田原】自分のやりたい仕事ができていたようですが、約5年で退社される。これは、どうしてですか?

【岩佐】私はゼロから1にするのが好きなんです。ただ、大手メーカーはゼロを1にするどころか、1を10にするチャレンジもほとんどしません。いまはまだ需要がないけど、次にこんなものをつくったらおもしろいというところはベンチャーなどの外部に任せて、それが10になったら豊富な資金で買収して、100に育てようという戦略です。これはパナソニックだけでなく、ほかの分野でチャンピオンになっている大手企業にも共通の傾向だったと思います。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】僕は創業者の松下幸之助さんに10回くらい会っていて、あるときこう教えてくれました。「田原さん、うちには東京に研究所がいくつかある。そこが開発したものを、うちがドーンと大量生産するんだ」。でも実際、研究所は東京になかった。幸之助さんが研究所と呼んでいたのは、ソニーや富士通、NECだった。岩佐さんは、幸之助さん以来の松下方式に不満があったんですか。

【岩佐】昔はそれでよかったと思います。ただ、最近は新しいことをはじめるベンチャーが数年でものすごい規模に成長して、あっという間にパナソニックのような大手のシェアをとってしまうようになった。昔からパナソニックが得意にしていたところと、私が得意なゼロイチの発想にズレがあるなと感じていました。それが退社の最大の理由ですね。

【田原】08年に独立してCerevoを設立する。Cerevoはどういう意味?

【岩佐】Cerevoの「Ce」はコンシューマーエレクトロニクス、つまり家電です。「revo」はレボリューション。従来なかった家電をつくって、世の中をガラッと変えようという思いを込めて名前をつけました。

【田原】僕は起業家にもたくさん会っていますが、その多くはITベンチャーで、岩佐さんのようにハードウエアで起業する人は珍しい。ハードウエアベンチャーが少ないのは資金面のハードルが高いからだと思うけど、そこはどう乗り越えましたか?

【岩佐】1990年代にハードウエアで起業すると、少なくても5億、10億円は必要でした。でも、00年代になると1億~2億円で起業できる環境が整ってきた。いまはもっと低くなって、5000万円あればハードウエアベンチャーをつくれます。

【田原】じゃあ岩佐さんも楽だった?

【岩佐】いえ、私はタイミングが悪くて。起業したのが08年で、パナソニックを退社して資金調達をはじめた3カ月後にリーマンショックがありました。どこに行ってもお金がない状況で、本当に苦労しました。当時、日本にベンチャーキャピタルは80社ほどありましたが、70社近く回ってなんとか目途がたちました。