パナソニック選択の最大の理由

【田原】学校卒業後は松下電器産業(現パナソニック)に入社します。これも意外だね。

【岩佐】インターネットが私の世界を変えてくれたので、まずインターネットに関係のある仕事をしたいと考えました。私が就活していた2002年当時、インターネットとつながっていたのはPCだけ。将来はPC以外にもさまざまなものがインターネットとつながると確信していたので、「何か×インターネット」の何かに当たる分野を検討しました。

Shiftall CEO 岩佐琢磨氏

【田原】それが家電だったわけ?

【岩佐】たとえば私が好きな航空機や、運転免許を持っていた自動車も候補でした。ただ、モビリティは人の命がかかっているので簡単には開発ができません。実際、いま実証実験が進められている自動運転も、大きな事故が起きれば開発がストップする。安全性を確立するのに5年とか10年かかるとしたら、人間の短い一生の中で何回トライできるのか。それを考えると厳しいなと。一方、家電は自動車より開発期間が短い。家電×インターネットなら何十回も挑戦できると思って、家電を選びました。

【田原】家電メーカーはたくさんあります。その中で、どうしてパナソニックを選んだのですか?

【岩佐】私がやりたかったのは商品企画の仕事です。しかし、理系の学生は、どのメーカーに行っても、まずエンジニアとして開発をやれ、商品企画をやりたければ開発で修業をしてからだと言われてしまう。その中で唯一、違う反応をしてくれたのがパナソニックだったんです。

【田原】違う反応って?

【岩佐】人事の方がとても熱い人で、「家電×インターネット」の企画をやらせてもらえないなら入らないと言ったら、「わかった、俺が絶対にその仕事をやらせてやるから、うちにこい」と答えてくれました。おそらく私が学生のころからインターネットの世界でしていたことを踏まえてくれたのだと思います。

【田原】パナソニックでは、どんな仕事をしていたのですか。

【岩佐】まさに「家電×インターネット」の商品企画をやっていました。たとえばDIGAというHDDレコーダーに、携帯電話で遠隔地から録画予約ができる「DiMORA」というサービスを立ち上げました。あと、デジカメのLUMIXの電源を入れると写真がぜんぶネットに転送される「PicMate」というサービスを開発。いまではカメラがインターネットとつながるのは当たり前ですが、当時はSDカードを抜いてPCに差して写真を見る時代だったので、画期的なサービスでした。