さて、県外から一攫千金を夢見て新天地に入植した移民たち。地元民の予想通り、最初は苦難の連続だったようだ。だが、国からは1ユニットあたり15町歩という広い耕作地を与えられ、15年ほど地代を払い続ければ土地は自分のものになるという「おいしい」約束もあった。

これが現在では、1ユニットあたり年間売り上げ2000万~2500万円、手取りは1000万円にもなる高利回りの耕作地に化けている。さらに、いまこの土地を売れば1億円を超える現金を得ることもできる。大潟村の所得や資産は、東京の高級住宅街にも匹敵する。そのため、村の家々は広くてこぎれいで、たまには高級車が駐まっていることもある。

大潟村の干拓記念館には、その成功への軌跡が展示されている。昭和の高度経済成長期までは困難が続いたプロジェクトであったことが読み取れるが、平成元年くらいからは村にエンターテインメント施設を増やすなど、計画に余裕が見られる。また、1997年(パソコン黎明(れいめい)期)には、すでに村に独自のインターネット網が導入されたようだ。この頃には、すでに予算が余っていることがうかがい知れる。干拓プロジェクトは利益超過となり、昭和のうちに成功を収めて現在に至るわけである。

経済合理性で人は移動する

このような魅力的な国策プロジェクトを再び地方が作るべきである。東京から引っ越してでも勝負したくなるような挑戦的プロジェクトを地方経済の原動力にできれば、それが一番良い。

人は経済合理性のある選択肢を選ぶ。儲かりそうな話が転がっていれば東京からも多くの人や企業が拾いに来るだろう。現在、隆盛を極めるビットコインを採掘するためにコスト(電気代)の安いアイスランドまで行く、という話すらある。ビットコインなどよりも、地方創生プロジェクトに投資妙味があると思えればいいのだ。福島の復興しかり。地方はすぐににぎやかになる。

なぜ八郎潟時代の昔の日本人にはできたことが、いまの日本人にできなくなってしまったのだろう。「結果平等」「少数意見より多数決」「戦わない」「博打を打たない」「コンプライアンス」。このような社会の常識ともいえるキーワードを再考するときが来ているのかもしれない。

玉川陽介(たまがわ・ようすけ)
1978年神奈川県大和市生まれ。学習院大学卒。学習院さくらアカデミー講師。大学在学中に統計・情報処理受託の会社を立ち上げ、28歳のときにM&Aにより上場会社に売却。その資金で世界の株式、債券、不動産などに投資する個人投資家となる。世界20カ国以上で銀行と不動産市場を調査し、経済誌などへの執筆も行う。主な著書に『不動産投資1年目の教科書』(東洋経済新報社)、『Excelでできる不動産投資「収益計算」のすべて』(技術評論社)などがある。
(写真=iStock.com)
関連記事
田舎の「タダ」は「無料」ではない
市長は年収251万「人口減」の行き着く先
売るに売れなくなった家で「稼ぐ」方法
「家がタダ」で「子育て支援702万円」のスゴイ町
「日本人でよかった」と思えた奇跡の写真