画像編集ソフトによる合成は一切なし

私がリサーチに入った2016年当時、キプロスでは分断を解消して一つの国になろうという交渉が南北間で進んでいた。私は、この状況に興味を持ち、キプロスの人々と対話を始めた。私の作品にはたくさんの人物が登場することもあるが、画像編集ソフトによる合成は一切行っていない。参加する人々と共に考え、共に制作するプロセスが重要だと考えているからだ。

私は、いつもこの作品の制作過程で、現地の人々との対話の中からゴールとするイメージを共につくる。そして、それを絵に描く。絵は参加者を集めたり、許可をとったりするのに役立つ。それを使いながら、現実の写真を作っていくのだ。

今回のキプロスの作品では、当初、こうしたゴールをイメージして絵を描いていた。主役は、ギリシャ系とトルコ系のハーフの赤ちゃん。背景の左側にはギリシャ正教の神父と信者たち、右側にはイスラム教のイマム(指導者)と信者たちが並ぶ。撮影場所は、南でも北でもなく、国連が管理するニコシア飛行場という緩衝地帯。撮影には国連軍も参加する。赤ちゃんの現在の置かれた状況、未来のキプロスの希望を1枚の写真で表現できればと考えた。

《マンダラ・イン・キプロス ドローイング》Drawing of Manda-la in Cyprus 2017 (c)USAMI Masahiro Courtesy Mizuma art Gallery

ギリシャ正教徒であるギリシャ系キプロス人と、イスラム教徒であるトルコ系キプロス人。両地域の人々が分断されている現状と過去の歴史を乗り越え未来を作ろうと模索している姿は、現在の世界の状況や、西側諸国とイスラム諸国の問題ともリンクする。キプロスは小さな国だが、そこから世界中の人々が共感し、考えるきっかけとなる作品を作れるのではないかと思ったのである。

キプロス人が大嫌いになった制作過程

このプロジェクトのために、当初、現地の組織が私をサポートしてくれることになっていた。本部は首都ニコシアにあり、南でも北でもない国連が管理する緩衝地帯にある。ギリシャ系とトルコ系の両地域の人々がともに働くNPOのような組織だ。私のキプロスでの制作のオーガナイザーとして、リサーチ、制作、展示、予算管理の全てをサポートするという契約書を交わしていた。

最初の渡航では、彼らは私を暖かく迎え入れてくれた。南から北まで、さまざまな場所を案内し、キプロスの歴史と現在の情勢を教えてくれた。国連ともつながりがあり、撮影場所となる緩衝地帯のロケハンもできた。

リサーチを踏まえて、撮影するすべての写真の企画と大まかな構成を考え、彼らとは「2回目の渡航から制作の工程にはいろう」と約束した。私の写真は、現代美術では「リレーショナルアート」という分野に位置づけられる。現地の人々と、一緒に企画を考え、構成し、共に制作をすることを一番大切にしている。

プロジェクトを再スタートさせることに

ところが組織側は、2回目の渡航直後、「制作過程は手伝わない。契約書にも協力の詳細については書かれていない」と主張し、サポートを拒否するようになった。私は「契約書にはサポートをすると書いてある」と反発した。だが、どこまで協力するかという詳細は書かれてはいない。

キプロスは、英語は通じるが、メインはギリシャ語、トルコ語だ。しかもだれも知り合いはいない。突然の彼らの行動に頭が真っ白になった。結局、私は現地に長く滞在する日本人に相談し、プロジェクトを再スタートさせることになった。まず始めたことは、約束をちゃんと守ってくれるキプロス人を探すことだ。この時は大きなカルチャーショックを受けた。日本では当たり前のように物事が進行していく。その素晴らしさを実感した。

その後、南と北のそれぞれからキプロス人の協力者をみつけることができた。キプロス人にも心のある人はちゃんといるのだ。予算は限られていたが、なんとかプロジェクトを再スタートできることになった。