各国で高まる「自国第一主義」の声
ちょうど1年前、「アメリカ第一主義」を掲げたトランプ大統領が就任しました。ヨーロッパでは、2016年にイギリスが欧州連合(EU)離脱を決めたし、昨春のフランス大統領選挙では、当選こそしなかったものの、反EU、反移民のマリーヌ・ルペン氏が決選投票まで進んで3分の1も得票した。ドイツの総選挙でも、反EU、反移民の右派政党が議席を伸ばしました。各国で、「自国の産業や雇用を守れ。国境の管理を厳しくして、移民や難民の流入を止めろ」と主張する声が高まっています。
こうした動きに対し、「ポピュリズムだ」「内向きはけしからん」と批判する向きがありますが、果たして本当に「けしからん」のでしょうか? そして、ただ「けしからん」と批判しているだけで良いのか? 私は、こうした「自国第一主義」の声が何を意味しているのか、本気で考えるべき時なのではないかと考えています。
これらの現象は、これまで信じられてきた経済の原則やモデルが、崩れてきていることを表しているように思えてなりません。これまでの価値観で、「保護主義は悪」「自由経済が善」と決めつけているだけでは、何も解決しないと考えています。
経済のスピードに追い付かない「神の見えざる手」
植民地と本国の中だけで貿易を進める「ブロック経済」による保護貿易が、大国間の対立を招き、第二次世界大戦につながったという反省から、戦後は自由貿易を推進する動きが強まりました。さらに、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年には共産主義陣営を率いていたソ連が崩壊して冷戦が終結。中国も市場経済を取り入れていますから、資本主義、自由主義経済が勝利したように考えられてきました。理論的には「自由経済が、資源を一番うまく配分できる」ということになりました。
市場で自由に経済活動が行われていれば、いくらそれぞれが利己的に動いていても、需要と供給のバランスは価格によって自然に調整されるというのが、自由経済の基本的な考え方。経済学者のアダム・スミスが「神の見えざる手」と呼んだ現象です。
しかし自由経済の中で「神の見えざる手」のメカニズムが完璧に働くためには、いくつか条件があります。「消費者や生産者が無数に存在していて、買い占めや売り惜しみが起きても価格に影響を与えない」「市場への参入も退出も完全に自由」「同じ商品であればブランドなどの嗜好はない」「市場に関するすべての情報をすべての人が持っている」といったものです。
こうした条件は現実にはありえない設定です。もちろん、机上で現実の状況を分析するうえでの基準としては必要かもしれませんが、それにしてもこれらの条件は、現実とはあまりにもかけ離れています。自由経済の理論を考えた経済学者たちは、これほどに国境を越えて人や情報、モノ、カネが移動するということを、想定していなかったのではないでしょうか。証券取引などでは、ITを駆使して1秒間に数千回もの高速取引が行われています。「神の見えざる手」、つまり価格の調整力が働くよりももっと速いスピードで、人もモノもカネも情報も動いてしまう。
雇用もそうです。本来であれば、ある産業が衰退すれば、新しい産業が生まれ、衰退した産業の雇用を吸収するということになっています。確かに実際、そうした動きはあるので、自由経済が全く機能していないわけではないですが、それは当事者たちが耐えられないほどにゆっくりとしたスピードです。例えば、アメリカで石炭が衰退産業になり、石炭労働者が解雇されている一方で、相当部分の雇用を、成長中のシェールオイル業界が吸収してはいる。しかしそれにはやはり数年かかります。マクロで見ると「たかだか数年」かもしれませんが、個々の家庭や個人の生活にとって数年は致命的です。そういうタイムギャップの間に、個々の生活は破たんしてしまいます。