「フラットな立場だからできた仕事」。写真家の宇佐美雅浩さんはそう振り返る。EUからキプロスでの撮影を依頼された宇佐美さんは、ギリシャ系とトルコ系で南北に分断されている同国で、2つの民族が一緒になった写真を撮った。なぜ撮影は成功できたのか。日本人であることのメリットとは――。
《早志百合子 広島 2014》タイプCプリント (c)USAMI Masahiro Courtesy Mizuma art Gallery

「キプロス」と言われても、場所もわからない

「宇佐美さん、唐突ですが、キプロス島を撮影する写真家を探しています。滞在制作ですが、ご興味ありますか? 南北に分断されていて、真ん中には、国連軍が駐留しています。キプロスの人々の意思として、いずれは統一へという希望があります」

2016年6月13日、旧知のキュレーターからそうしたメッセージがFacebookのメッセンジャーで届いた。「キプロス」と言われても、具体的な場所すらわからない。その時は、プロジェクトが現実のものとなり、あんなにも、精神的、肉体的、金銭的に追いこまれることになるとは夢にも思わなかった。

欧州連合(EU)は、毎年、加盟国から2都市を「欧州文化首都」に選び、1年間にわたり集中的にさまざまな文化的事業を行っている。2017年はデンマークのオーフスとキプロスのパフォスという2つの街が選ばれた。そのうちキプロスの事業で、キュレーターのもとに「日本人の写真家を推薦したい」という依頼があり、私に白羽の矢がたったということだった。

私は、仏教の「曼荼羅(まんだら)」のごとく、中心人物の個人的、社会的背景を一枚の写真で表現するプロジェクトを日本で長く行ってきた。例えば、「早志百合子 広島 2014」という作品では、被爆者の早志百合子さんを中心に、0歳から90歳までの4世代約500人の広島市民に原爆ドームの前へ集まってもらい、写真を撮った。このプロジェクトはすでに20年以上続けているもので、以前から機会があれば海外でも撮影したいと考えていた。

この様なマイナー地域の作品に意味はあるのか

とはいえ、すぐに作品制作を決めたわけではなかった。「キプロスで制作することにどんな意味があるのだろうか」「この様なマイナーな地域を作品にしたところで多くの人の心に訴えかけることができるのだろうか」。そう考えたからだ。

しかし、現地に乗り込んでリサーチをしてみると、四国の半分の面積しかないキプロスという島でも、多くの人に共感してもらえる作品ができるのではないかと思うようになった。

現在のキプロスは、1974年の内戦以降、ギリシャ系とトルコ系の対立が続いており、首都のニコシアには南北に分断線が走っている。南にはギリシャ系、北にはトルコ系をルーツとする人が多く住む。両者を隔てるのは、コンクリートの壁や鉄条網に囲まれ、国連平和維持軍が駐留する緩衝地帯「グリーンライン」。長さは約180キロで、双方が首都とするニコシアの真ん中を通る。

キプロスの地図。CIA Factbookより日本語化。Wikipediaより